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雨森芳洲関係資料「ユネスコ世界の記憶」登録へ

[2017年6月13日]

ID:2937

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郷土の先人 雨森芳洲(あめのもり ほうしゅう)

雨森村(現長浜市高月町雨森)出身と伝える雨森芳洲(1668年から1755年)は、江戸時代中期、対馬藩(現長崎県対馬市)に仕えた儒学者です。藩の教育のほか、朝鮮外交などにあたりました。

朝鮮通信使来日の際にはその随行儒者として、正徳元年(1711年)の第8次と、享保3年(1718年)の第9次の通信使に同行し活躍しました。

自らの経験から、朝鮮外交の指針書「交隣提醒(こうりんていせい)」を著し、国際関係における文化の相互理解や、「誠信の交わり」を説くなど、日本と朝鮮の善隣外交に顕著な業績を残しました。

雨森芳洲肖像画

ユネスコ3大遺産「世界の記憶」とは

フランスのパリに本部を置く国連教育科学文化機関(ユネスコ)では、三大遺産事業を進めています。3つとは、歴史的建造物や遺跡などの文化遺産並びに自然遺産を保護する「世界遺産(1975から)」、昨年12月に「長浜曳山祭」が登録された、祭礼行事や民俗・工芸技術などを保護する「無形文化遺産(2006から)」、そして文書や絵画などの記録物を対象とする「世界の記憶(旧称:世界記憶遺産、1995から)」です。

「世界の記憶」は、危機に瀕した歴史的な記録物を、最新のデジタル技術を駆使して保全し、研究者や一般の方々に広く公開することを目的としています。

古文書や書物、楽譜、絵画、フィルムなどの記録資料が対象となり、現在世界中で348件が登録されています。

世界の記憶の主な登録資料

海外

  • アンネの日記
  • ベートーベンの交響曲第9番の自筆楽譜
  • フランス人権宣言の文書
  • 童話作家アンデルセンの原稿 等

日本国内

  • 山本作兵衛炭坑記録
  • 御堂関白記
  • 慶長遣欧使節関係資料
  • 舞鶴への生還
  • 東寺百合文書 以上5件

「世界の記憶」の選定基準

  1. 真正性 出所が確認でき、複写や模写・偽造品でないこと
  2. 世界的な重要性 代替できない唯一のもの 歴史上多大な影響を及ぼしたもの
  3. その他 世界的に重要なもの 希少性、完全性など

文化的価値を測る絶対的基準は存在しないため、比較に基づく相対的な審査が行われ、これまでに認可、不認可となった他の推薦案件との関係も考慮されます。

申請までのあゆみ

平成2年、朝鮮通信使の歴史的な意義の顕彰や資料の調査研究、日韓の親善交流を図るため、通信使の経路などゆかりの自治体・団体で、朝鮮通信使縁地連絡協議会(縁地連)が結成されました。設立当初から、雨森芳洲ゆかりの高月町(現・長浜市)と、雨森芳洲の顕彰会「芳洲会」はその一員として活動に参加してきました。

平成24年、縁地連全国交流会釜山大会で、韓国の釜山(ぷさん)文化財団より、「朝鮮通信使に関する資料」の日韓両国によるユネスコ共同登録推進が提案されました。

平成26年5月、縁地連内に「朝鮮通信使ユネスコ記憶遺産日本推進部会」、翌6月、「朝鮮通信使ユネスコ記憶遺産日本学術委員会」が設立されました。

その後、10回を超える日韓合同推進会議・共同学術会議等を経て、昨年3月、「朝鮮通信使に関する記録(17から19世紀の日韓間の平和構築と文化交流の歴史)」(資料合計111件333点)がユネスコ委員会へ登録申請されました。

日韓学術委員会

日韓学術委員会の様子

雨森芳洲が随行した朝鮮通信使とは

日本国と朝鮮国との国交は、二度にわたる朝鮮出兵「文禄・慶長の役」によって一時は断絶しましたが、江戸時代に入って対馬藩を仲立ちに回復しました。朝鮮国とは、江戸時代の鎖国政策の中にあっても、対等の友好国として正式な国交を結んでいました。そして朝鮮国王より将軍に対して遣わした、「信を通じる」友好のあかしの使節団が朝鮮通信使です。

将軍の代替わりの祝賀などの目的で、慶長12年(1607年)から文化8年(1811年)までの約200年間に12回来日しました。通信使一行は毎回300から500人で構成され、釜山から大坂までは海路、そこから江戸までは陸路をとりました。

異国の文化を迎え、それを見物し、彼らと交流することは、わが国にとって江戸時代きっての国際的イベントで、通信使一行は武士階級のみならず、文人や一般民衆からも大歓迎されました。

海外事情に乏しかった当時の日本人にとって、鮮やかで見慣れぬ衣裳・風体、鼓膜と心を刺激する楽器の音色など、異国の文化使節団を目のあたりにすることは、カルチャーショックそのものだったことでしょう。通信使を迎え、彼らと交流した記録は、九州から江戸にかけて、各地に残されています。

朝鮮通信使は、両国の平和的な関係を構築し、維持させることに大きく貢献しました。朝鮮通信使が往来する両国の人々の憎しみや誤解を解き、相互理解を深めたことにより、両国は外交のみならず学術・芸術・産業・文化などのさまざまな分野において、活発に交流することができたのです。その根底には、雨森芳洲が説いた「互いに欺かず、争わず、真実をもって交わることこそ、誠信である」という、誠意と信義を重んじた「誠信交隣」の精神が流れていたのです。

この度、「世界の記憶」に登録申請されている資料は、「外交記録」、「旅程の記録」、「文化交流の記録」のジャンルで構成され、芳洲会所蔵の「雨森芳洲関係資料」(雨森芳洲の子孫から芳洲会へ寄贈された資料群)がこれに含まれます。

朝鮮通信使絵巻1

朝鮮通信使絵巻

朝鮮通信使絵巻2
行程図

朝鮮通信使行程図

瓦人形

瓦人形(近江八幡市蔵)
当時の鬼瓦作りの職人が制作したもので、宝暦14年(1764年)の第11回通信使をモデルとしていると考えられる。

登録に向けての取組

「雨森芳洲関係資料ユネスコ『世界の記憶』登録推進実行委員会」の設立

ユネスコ「世界の記憶」に登録申請された資料111件333点のうち、1件36点が芳洲会が所蔵(市管理)する「雨森芳洲関係資料」であり、早ければ今年秋にも登録されることから、その推進および啓発普及を目的に、芳洲会や地域づくり協議会等が中心となって、実行委員会が結成され、先日、設立総会が開催されました。
設立総会

設立総会の様子

「誠信」を受け継ぐ長浜 京都造形芸術大学客員教授 仲尾宏氏

「雨森芳洲が長年の朝鮮関係の仕事を総括し、藩主への提言としてまとめた書物「交隣提醒」の中で最も強調しているのが「誠信の交わり」の大切さです。「誠信と申し候は、実意と申す事にて、互いに欺かず、争わず、真実をもって交わり候を、誠信とは申し候」これこそが彼が後世に残した最大の遺産であり、まさに今日の国際社会がめざす未来の指針です。長浜の皆さんが郷土の先人の思いを受け継ぎ、伝えていくことは大変意義深く、今後の地域づくりの大きな力となることでしょう。

長浜市の取り組み

合併前の高月町では、芳洲ゆかりの対馬市との姉妹縁組・交流を行い、朝鮮通信使縁地連絡協議会に参加し、平成10年と21年には全国大会を主催するなど、芳洲思想の継承と他自治体・ 団体等との交流を行なってきました。また、生家跡に建つ「東アジア交流ハウス雨森芳洲庵」では、芳洲の思想と業績や、朝鮮通信使など江戸時代の日朝交流を展示紹介し、町全体として芳洲思想の浸透や韓国との交流事業を、地域づくりの核として活動してきました。 合併後も、「NPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会」に参加し、対馬市と共に朝鮮通信使の「世界の記憶」登録を積極的に推進してきました。平成27年秋には、長浜文化芸術会館でシンポジウム「雨森芳洲と朝鮮通信使」や、長浜城歴史博物館と高月観音の里資料館で特別展を開催するなど、ユネスコ登録をさらに後押する事業を展開しています。
子どもミュージカル

富永小学校で毎年行われている芳洲子どもミュージカル

特別展

長浜城歴史博物館での特別展

シンポジウム

関係団体を招いてのシンポジウム

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