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▲豊国神社境内の「虎石」 |
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日本の各地には石にまつわる伝説が数々ありますが、長浜にもそうした伝説がいくつか伝えられています。今回はそうした伝説を『長浜市史』の中から二題ご紹介しましょう。
まず一つめの伝説は太閤秀吉にまつわるものです。長浜駅に程近い豊国神社の境内にある瓢箪池のほとりには、「虎石」と呼ばれる石があります。ちょうど虎が伏せたようにも見えるこの石は、かつて秀吉が長浜城主であった頃、これを愛玩したという伝説が昔から語り伝えられていました。江戸時代になって、この虎石が長浜御坊大通寺の建物のひとつである新御座の庭石として移設されるということがあったのですが、その夜から、虎石は大通寺の住職の夢枕に現れて「いのう、いのう(帰ろう、帰ろう)・・・」と三日三晩泣きつづけたというのです。
江戸時代、長浜城は既に廃城となっており、その遺構もほとんど残されていなかったといいますが、虎石は夢のお告げに従って大通寺から旧長浜城の敷地に戻されたのだそうです。その後、月日は流れて、虎石は秀吉を祀った豊国神社の境内に移され、現在に至っています。この伝説は、かつて大通寺の前身である長浜御堂が、長浜城内にあったとされることなどとも絡み、興味深い物語です。
この「虎石」に関しては、『長浜市史』第3巻(町人の時代)のP328と、『長浜市史』第7巻(地域文化財)のP208などに記載されています。ご参照ください。
さて、その次のお話。長浜の町場から北国街道を南にたどってゆくと、道は平方町を通ってゆきます。その街道沿いに平方天満宮が祀られているのですが、その境内の一角には「犬塚」と呼ばれる石があります。この石には「メタテカイ(目検枷)」という犬にまつわる伝説があるのです。
その昔、平方の平方天満宮には、毎年附近の村から一人ずつ娘を人身御供に差し出すという習わしがあったそうで、夜半に、娘を乗せた輿を神前に置き去りにするというのです。ある年のこと、村に豪気な男がいて、何者がこの人身御供を求めるのか、見とどけてやろうと、近くの老樹に身を隠していました。やがて夜も更けた頃、社殿の後ろの湖岸のあたりから得体の知れぬ怪物が現れました。怪物は「メッキに言うなよ。平方のメッキに言うなよ・・・」とつぶやきながらやって来たといい、男は「メッキ」というものが怪物の弱点であることを知ります。
男は平方村でメッキとは何者かと尋ねたところ、それは野瀬の長者の愛犬目検枷(メタテカイ)のことであることが解りました。翌年、男は長者からメタテカイを借り受けると、怪物を待ち伏せしました。やがて怪物が現れると、男はメタテカイとともに怪物に飛びかかり、怪物を倒したのです。しかし、メタテカイも大きな傷を受け、男の看守る中で息をひきとりました。
怪物の死体には、激闘を物語るかのようにメタテカイの鋭い歯の痕が幾つも残されていたといいます。この名犬メタテカイを葬ったのが、平方天満宮の犬塚だといわれています。
そして現代、この石に触れた手で歯の痛むところを撫でると、その痛みが止まるという話が、メタテカイの伝説と共に地元では語られています。
平方天満宮とメタテカイの伝説については、『長浜市史』第7巻(地域文化財)のP216に掲載されています。
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▲平方天満宮の「犬塚」 |
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