高月観音の里資料館
 
     
 
 
  企画展
 「ホトケの微笑み ホトケの怒り
〜松尾・雨森・川並の仏像〜」


                  会期: 平成25年10月23日(水)から12月1日(日)
聖観音立像(部分)(余呉町川並・地蔵堂 平安時代)
不動明王立像(部分)(高月町雨森・観音寺 江戸時代)
 開催趣旨

 湖北地方には、観音像をはじめ多くのホトケたちが残されています。そのホトケたちは、大きな寺社に護られてきたものだけではなく、地域の人々の暮らしに根付き、ホトケへの信仰心とともに、人々に長く受け継がれ守られてきました。湖北のホトケたちは、地域の人々の暮らし方や風土と深く結びついています。
 この企画展では、湖北の民衆に大切に守られてきた素朴な仏像を紹介し、湖北地方の心の文化に触れていただきます。本年度は、天台密教が栄えた己高山の有力な寺院「惣山之七箇寺」の一つに数えられている覚念寺(松尾寺・高月町松尾)、「天が降りる里」雨森の観音寺(高月町雨森)、余呉湖畔に建ち「子安の地蔵さん」と親しまれ広く信仰を集めている川並地蔵堂(余呉町川並)に安置されている観音像などのホトケたちを展観します。
 それぞれ個性的で表情豊かなホトケたちをとおして、地域に受け継がれ今なお息づいている信仰文化を感じ取っていただければ幸いです。


ギャラリートーク(展示説明会)のご案内
日時:平成25年11月10日(日)午後1時30分〜
会場:高月観音の里歴史民俗資料館2階展示室

展示予定資料
資料名 員数 時代 所有者 備考
1 十一面観音立像 1躯 室町〜江戸時代 覚念寺(松尾)
2 不動明王立像 1躯 江戸時代 覚念寺(松尾)
3 毘沙門天立像 1躯 江戸時代 覚念寺(松尾)
4 伝教大師坐像 1躯 江戸時代 覚念寺(松尾)
5 慈覚大師坐像 1躯 江戸時代 覚念寺(松尾)
6 千手観音立像 1躯 明治時代 観音寺(雨森)
7 不動明王立像 1躯 江戸時代 観音寺(雨森)
8 毘沙門天立像 1躯 江戸時代 観音寺(雨森)
9 薬師如来立像 1躯 平安時代 観音寺(雨森)
10 薬師如来坐像 1躯 室町時代 観音寺(雨森)
11 伝弁財天坐像 1躯 室町時代 観音寺(雨森)
12 聖観音立像 1躯 平安時代 川並地蔵堂
13 薬師如来立像 1躯 平安時代 川並地蔵堂
14 日光菩薩立像 1躯 江戸時代 川並地蔵堂
15 月光菩薩立像 1躯 江戸時代 川並地蔵堂
16 天部形立像 1躯 平安時代 川並地蔵堂 長浜市指定文化財
17 天部形立像 1躯 平安時代 川並地蔵堂 長浜市指定文化財
18 三十番神像 33躯 江戸時代 川並地蔵堂
19 破損仏 3点 平安時代 川並地蔵堂
千手観音立像(高月町雨森・観音寺 明治時代)
十一面観音立像(高月町松尾・覚念寺 室町〜江戸時代)
天部形立像(余呉町川並・地蔵堂 平安時代 長浜市指定文化財)
薬師如来坐像(高月町雨森・観音寺 室町時代)
伝教大師坐像(高月町松尾・覚念寺 江戸時代)
 
  特別陳列
 布施美術館名品展
 「湖北の農民画家・片山雅洲 〜その修業と交友〜」


                  会期: 平成25年9月4日(水)から10月20日(日)
長春双鶏図 明治29年初秋(1896)
 開催趣旨

 布施美術館は、長浜市高月町唐川に建つ財団法人の美術館です。ここには、当地に生まれた医師・故布施巻太郎氏(1881〜1970)が収集した、文人画の巨匠・富岡鉄斎の絵画をはじめとする、すぐれたコレクション約1,500点が収蔵されています。鉄斎のほか文人画や、仏教や歴史に関係する資料、医学・薬学関係資料、そして郷土・高月町出身の農民画家・片山雅洲(1872〜1942)の主要作品なども収められています。
 巻太郎氏は生前、「自ら収集したコレクションを、国民の文化遺産として永く後世に残したい、広く社会教育に活用したい」と考え、この美術館を創設しました。高月観音の里資料館では4年前より毎年1回、布施美術館のすぐれた所蔵資料を特別公開しています。今年は、郷土の画家・片山雅洲にスポットを当て、雅洲の青壮年期の作品や、故巻太郎氏をはじめとするその交友関係などを紹介します。
 この展示を通じて、湖北の農民画家・片山雅洲の画業や布施コレクションの価値を知っていただくとともに、故巻太郎氏の心にふれ、あわせて郷土文化を再発見する契機としていただければ幸いです。

 片山雅洲について

 片山雅洲は、高月町西物部出身の日本画家です。本名は清次郎(清二郎)。家業農事のかたわら、日本画の修業に励み、京都に出て熱意と才能でその頭角をあらわし、「長春双鶏図」と「孔雀図」は、いずれも全国絵画展で入賞しています。号を「雲峯」「徹巌」「片山璞」のほか、床に蛙のように這いつくばって描いていたので「ガマ」のアダ名から、「画魔」「画魔変人」とも名乗ります。
 その後、花開きつつある新しい日本画の世界に心を魅かれ、東京に出て近代日本画の巨匠橋本雅邦に入門、師の一字をもらい「雅洲」と改めました。農事のため上京と帰郷を繰り返し、後年は郷里にあって生涯作品を描き続けました。
 絵の手ほどきを受けた戸田北堂(1837?〜98)、京都で学んだ幸野楳嶺(1844〜95)・今尾景年(1845〜1924)、東京での橋本雅邦(1835〜1908)とその門下など、さまざまなつながりの中で雅洲は育てられました。また、建仁寺竹田黙雷・永源寺芦津石蓮両管長との交友は、雅洲を人間的にも大きく成長させました。
 さらに隣村唐川出身の布施巻太郎との出会いや、そのすぐれたコレクションの数々は、雅洲にとって大きな精神的・創作的刺激となりました。巻太郎は、生涯雅洲のよき理解者であり、また支援者でもありました。布施美術館には、雅洲の代表作のほとんどが所蔵されています。

主な展示資料
資料名 員数 年代 備考
1 関羽図 1幅 明治26年立春(1893) 22歳
2 長春双鶏図 1幅 明治29年初秋(1896) 25歳。日本美術協会展入選作
3 孔雀図 1幅 明治30年春日(1897) 26歳。全国絵画共進会入選作
4 ダイオゼニス図 1幅 明治30年代後半力 同門の下村観山作の模写
5 己ケ部屋図 1幅 明治39年秋日(1906) 35歳
6 菊慈童図 1幅 明治42年7月(1909) 38歳。布施巻太郎の長男誕生を祝って贈ったもの
7 達磨大師図 1幅 明治43年秋日(1910) 39歳。永源寺管長芦津石蓮賛
8 達磨大師図 1幅 明治45年(1912) 41歳。建仁寺管長竹田黙雷賛
9 寒山子図 1幅 大正2年仲夏(1913) 42歳
 このほか、掛け軸・画帖・写生帖・愛用品(画印・筆・絵の具)など、約50件を展示紹介
菊慈童図 明治42年7月(1909)
自画像(「写生帖」より)