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平成24年3月1日号

[2012年3月8日]

ID:208

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国宝「都久夫須麻神社本殿」(竹生島神社本殿)

  • 指定日:昭和28年3月31日
  • 所在地:長浜市早崎町
都久夫須麻神社本殿
都久夫須麻神社本殿内部
豊臣家の紋(桐)

国宝・都久夫須麻(つくぶすま)神社本殿は、特殊な構造を持った建造物です。旧本殿は、永禄元年(1558)の大火災によって焼失してしまいましたが、9年後の永禄10年(1567)に戦国大名浅井氏の助力もあって再建されました。さらに慶長7年(1602)には豊臣秀吉の子、秀頼によって改築され現在の姿になりました。

この時の改築は、非常に変わったものでした。本殿の外廻りを残して内部をくりぬき、くりぬいた部分に京都から移築してきた建造物を入れ込んだのです。内部に入れ込んだ建物こそが、京都阿弥陀ケ峰(あみだがみね)に造営された豊臣秀吉の亡骸を葬った豊国廟(とよくにびょう)の霊屋(たまや)であると言われています(一説には、伏見城の日暮御殿(ひぐらしごてん)を移築したとも伝わっています)。

本殿内部は秀吉ゆかりの遺構と呼ぶにふさわしく、豪華絢爛たる桃山時代の美術工芸の粋が結集したものになっています。襖絵や天井画は、当時の画壇の最高権威である狩野光信(かのうみつのぶ)によるもので、精緻な絵画で埋め尽くされています。また柱や長押は黒漆塗りに高台寺蒔絵(こうだいじまきえ)が施され、豊臣家の紋である桐、天皇家の紋である菊が交互に配され、往時の秀吉の栄華を感じることが出来ます。正面中央の桟唐戸(さんからど)には繊細な菊の彫刻、壁には菊や牡丹に鳳凰の彫刻は極彩色で鮮やかに彩られています。ちなみに、慶長7年に移築されたこの豪華絢爛な中央の三間四方の建造物(母屋)と、永禄元年建造の外回りの建造物(庇部)は、構造物として互いに支えあっていません。わずかに正面側の海老虹梁(えびこうりょう)で繋がれているだけなのです。
この都久夫須麻神社本殿は、神仏が分離される明治時代以前までは、弁才天を祀る「弁天社」として竹生島の祭礼行事が行なわれる中心的建造物でした。しかし明治以降は、主尊である弁才天像は別の院に移され、平安時代の『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』に載る古社「都久夫須麻神社」として浅井姫命(あざいひめのみこと)などの祭神を祀り現在に至っています。

(『広報ながはま』平成24年3月1日号より)

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