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平成24年6月1日号

[2012年6月1日]

ID:215

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重要文化財 「竹生島文書」(宝厳寺・312通)

  • 答申年月日 平成24年4月20日
  • 所在地 長浜市早崎町
近江國琵琶湖竹生嶋図(長浜城歴史博物館蔵)
浅井長政書状
竹生島奉加帳

竹生島は古代以来、武将から庶民に至るまで、多くの人々に信仰されてきました。竹生島宝厳寺に伝わる由緒書などによれば、旧浅井郡内など地域の人々は、弁才天の島として崇敬してきました。また、遠方の巡礼者には観音信仰の寺とし知られています。今でも、弁才天の祭礼である蓮華会が毎年8月15日に行われていますし、西国三十三所観音霊場の第三十番札所として、多く巡礼者が訪れています。

今年、その竹生島に伝来した古文書が国の重要文化財となります。指定される古文書は、宝厳寺が所蔵するもので、巻子(巻物)、掛軸、冊子、折本(アコーディオン式の本)、1枚ものなど、形状はさまざまですが、全部で312通におよびます。時代的に言うと、鎌倉時代が7通、南北朝時代が21通、室町時代が152通、安土桃山時代が88通、江戸時代が41通、明治時代が3通となります。内容は、竹生島の寺領だった早崎村の統治に関するものが多く、蓮華会の当番や執行に関わるもの、島内の建物の建造・修築に関するものなども含まれます。

特に注目できるのは、歴代の室町将軍から祈祷寺として保護されていることです。室町将軍からの文書の他に、執権や幕府奉行人からの文書も多く、日本の室町時代がよく理解できます。さらに、戦国時代の近江守護家である京極氏・六角氏から文書、また戦国大名浅井三代からの文書も伝わります。浅井氏当主からの文書は、三代合わせて13通が残っており、一所蔵者では最も多く浅井氏当主の文書を含みます。もちろん、信長の妹・市を妻とした浅井長政の書状もあります。(写真中)

浅井氏を滅ぼして、湖北の新たな統治者となった織田信長・豊臣秀吉が、島やその所領を保護する旨を伝えた文書も伝来します。その中で、竹生島奉加帳(写真下)は羽柴秀吉とその家臣たちが、竹生島に金品を寄附した際の記録で、長浜城主時代の秀吉家臣たちのリストとして、非常に有名なものです。その帳面には、山内一豊や竹中半兵衛、さらには小堀遠州の父親 正次の名前も見えます。

このように、竹生島文書は日本の歴史を紐解く上での基本史料であるとともに、湖北・長浜の歴史を映す鏡とも言える文書群なのです。

(『広報ながはま』平成24年6月1日号より)

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