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あしあと

    『層』212号

    • [公開日:2013年12月24日]
    • [更新日:2021年9月1日]
    • ID:389

    物部遺跡 第25次・26次調査-建物の柱や土坑の跡、大型竪穴建物が見つかりました-(高月町東物部ほか)

    物部第25次調査 全景

    物部(ものべ)遺跡は高月町東物部周辺にある縄文時代から平安時代の集落跡として知られています。これまでの発掘調査でたくさんの竪穴建物(たてあなたてもの)※1や古墳(こふん)、管玉(くだたま)などの玉を作っていた道具、巴形(ともえがた)銅器という青銅製の飾りなどが見つかっています。

    物部遺跡第25次調査(写真右)は、個人住宅建築にともなう発掘調査です。調査では柱穴や土坑(柱以外の穴など)が見つかりました。時代は古代で、掘立柱建物(ほったてばしらたてもの=地面に穴を掘って柱を立てた建物)などからなる集落の跡と考えられます。

    出土品は土師器※2や須恵器※3、の破片などが見つかりました。

    これまで東物部集落の南西ではほとんど調査がありませんでしたが、今回の調査で集落の南西にも遺跡が広がっていることがわかりました。

    物部遺跡第26次調査(写真下2枚)は、民間開発にともなう発掘調査です。調査では竪穴建物が2棟見つかりました。時代は弥生時代後期です。今回見つかった竪穴建物の一つは、上から見た形が隅丸方形(すみまるほうけい=正方形の角が丸くなった形)で、一辺が約9mほどある大型の建物跡で、一般的な建物にくらべて収容人数が多く、大家族か有力者が住んでいたものでしょうか。

    出土品は弥生土器や土玉(土を焼いて作った玉=飾りや錘(おもり)として使用)、ガラス小玉の破片も見つかっています。

    これまでの調査で、26次調査の場所より南側の調査でもたくさんの竪穴建物などが見つかっていることから、弥生時代後期の大きな集落であったと考えられます。

    物部第26次調査 調査風景
    物部遺跡第26次調査 全景

    ※1 竪穴建物(たてあなたてもの 地面を掘りくぼめて、柱を組んで上に屋根をかけた半地下式の建物で、住居などとして使用されていたと考えられます。以前は「竪穴住居」と言っていましたが、最近では住居以外の目的でも使用されていたことがわかってきたため、住居という限定的な名称ではなく、より広い意味を持たせた「竪穴建物」といいます。

    ※2 土師器 素焼きの焼き物

    ※3 須恵器 窯で焼かれた硬質の焼き物

    時代区分表

    原始・古代
    弥生・飛鳥・奈良

    (平成25年12月20日発行)