県指定 垣籠古墳 古墳時代
 明治14年から後円部に当る場所が開墾され、その際石室と遺物が発見されており、当時の所有者から聞き書きした遺物及び主体部の概要について資料発表が行われている。当時の経緯は『改訂近江国坂田郡誌』にも記載があり、これによると鉄製矛、花形金具、(金・銀鍍金)、人骨、勾玉、管玉、粒玉、漢鏡、直刀、鉄剣、不明鉄棒等が発見されており、これら遺物の記録と共に主体部の簡単なスケッチも掲載されている。それによって、幅3.6メートル以上の石室であったこと、副葬品の配置などがわずかではあるが知ることができる。
平成元年に行われた測量調査によって、主軸をほぼ真北にとる墳長60メートル近い周溝を有する前方後円墳であり、後円部が削平され、わずかにその名残が残っていることが認められた。
 また、地元の北郷里小学校に残る「伝茶臼山古墳出土」の須恵器の一部は垣籠古墳から出土したものと考えられる。須恵器の主体は坏身、蓋、高坏、楾で、5世紀後半頃の年代を示す。
 地元では応神天皇の王子といわれる若野毛二俣王の墓として伝えられている。

出土遺物(伝茶臼山古墳出土)

石室のスケッチ

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