長浜城と長浜町(絵図) |
市指定 長浜城跡 桃山時代城跡は琵琶湖岸にあって、元、今浜城といい、南北朝時代、足利氏の謀将であった佐々木佐渡大夫判官高氏(京極道誉)が、延元年間に創築し、以後、家臣の今浜氏あるいは上坂氏が守将として在城した。天正の始め、羽柴秀吉が入城して、地名を長浜とあらため、城下町を経営して数年間居城した。天正11年4月の賤ヶ岳の戦には、ここを根拠地として大勝し、偉名を天下にとどろかせた。後、天正13年から同18年まで山内一豐が在城したが、慶長11年、内藤信成が来城し、その子信正が元和元年摂津の高槻城に移ってからは廃城となり、建造物及び石垣の大半は彦根城に移された。今も石垣の用石や込石が湖岸に散乱している。 市内大通寺の台所門、知善院の表門、彦根城の天秤櫓は、長浜城の遺構である。豊公園は、あたかも旧城の本丸にあたり、付近の旧城内であったところには、おうまや・土居・殿町・伊右エ門(山内一豐のこと)屋敷などの地名が今も残っている。 第3次調査遺構平面図 |
第3次調査状況写真1 |
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第3次調査状況写真2 |
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