長浜市の自然の様子
姉川のようす 中流
中流をさぐろう
姉川が米原市から長浜市に入る龍ヶ鼻付近では、河川じきも広くなり、川の様子も上流と大きく変わってきます。 龍ヶ鼻付近には横井(よこゆ)といって、川の流れをせき止めて、用水路に水をとりいれているところがあります。この横井からの水によって、北郷里一帯(長浜市の東部)の田をうるおすことができます。
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龍ヶ鼻の近くに野村橋があり、近くには姉川合戦の石碑が建てられています。この戦では、今から約440年前の1570年(元亀元年)に合戦の場となり、浅井・朝倉軍と織田・徳川軍の激戦が繰り広げられ、川は血で染まったという。 野村橋のたもとに三千余に及ぶ死者を悼む石碑が立てられています。近くの三田村には川を真っ赤に染めたという「血原の決戦」の伝承も残っています。 この付近は、かつては何度も洪水のために堤防をこえて水が田畑に入り、長浜市の人々に大きな被害を出していました。そのため、姉川の中で最も大規模な堤防が築かれています。
今町付近から国友町にかけてにも姉川から田の水をとる底樋が見られます。底樋は、江戸時代の初めに農民たちが安定した水を得ようと、姉川の水を利用したものです。 河原に大きなみぞをほって、その中に丸太を組み、川底をくぐった水が石の間を伝って水が流れていくという仕組みです。 今町にある馬井(うまゆ)の底樋は、江戸時代から明治時代に大きな改修工事をしたものとして有名で、今も多くの田畑をうるおしています。