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わたしたちの市の歩み

歴史に残る人や文化財

元三大師良源がんざんだいしりょうげん(おみくじの祖) (912~985)

三川町に生まれた良源は、平安時代に比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ座主ざす(寺の最高の僧)として延暦寺の発展のために大きな力を発揮しました。 今も元三大師の名で親しまれています。

座主としての活躍


元三大師像
(長浜城歴史博物館蔵)

良源は延喜えんぎ12年(912)浅井郡に生まれ、12歳の時に、比叡山ひえいざんに登り数々の修行を積みました。 すぐれた才能で南都(奈良)を代表する学僧を論破し、一躍名声を博しました。55歳で第18代天台座主となり、それから没するまでの19年間における活躍はめざましいものがありました。 老朽化した東塔、西塔、横川の三塔の大々的な整備をし、特に横川の整備に力を注ぎ、法華堂ほっけどう常行堂じょうぎょうどうなど建立しました。また、沈滞していた天台教学、法儀の復興、維持につとめ、当時門下生は3千人を超えたともいわれます。このように、堂塔の整備、天台教学の振興などに大きな功績を上げ、最澄によって開かれた比叡山をあらゆる面で発展させたことから「比叡山中興の祖」と呼ばれています。

元三大師のいわれ

良源はおくりな(亡くなった後におくられる戒名)を慈恵大師じえだいしといいますが、 永観3年(985)正月3日に亡くなったことから広く「元三大師」の名で親しまれています。また、亡くなった後、多くの民衆的信仰を生み、中でも角大師、豆大師と呼ばれ、魔除けのお札として民家の玄関口に貼られます。
三川町の玉泉寺ぎょくせんじでは、最近まで毎年8月7日に良源にまつわる「お水替え行事」が行われていました。
このほかにも信仰と結びついた多くの説話があり、それらが現在まで語り継がれているのは、それだけ良源が人々にしたわれていたことを物語っています。

教科書との関連

  • 中学社会「歴史的分野」(日本文教出版)52頁
    《第2編「古代までの日本」⑤文化の日本化「平安時代の仏教」》