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わたしたちの市の歩み

歴史に残る人や文化財

長浜市の古墳

長浜には茶臼山古墳や古保利古墳群など多くの古墳があります。どうして多くの古墳が作られたのでしょう。

古墳とは

3世紀から7世紀(今から1800 年前から1300 年前ごろ)にかけて多くつくられた当時の王や豪族など有力者のお墓のことです。 古墳は土を盛り上げてつくられ、表面には埴輪が置かれ葺き石が並べられることもありました。古墳の中央には石室などがつくられ、遺体を入れた棺が置かれました。遺体とともに、アクセサリーや武器、鏡など、たくさんの副葬品が納められました。

古墳の種類


空から見た姫塚古墳(前方後方墳)
高月町東柳野

古墳には前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)や前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)、円墳(えんぷん)、方墳など、様々な形があり、古墳の大きさや形は、古墳に葬(ほうむ)られた人の権力の大きさなどを表していると考えられています。
古墳をつくるにはたくさんの土を運び、埴輪を焼くなど、多くの人々の労力のほか、石を積み上げて石室をつくるための高い技術も必要でした。さらに副葬品には高価なものが多く、なかには中国や、朝鮮半島から伝わったものが納められることもありました。このようなことは、多くの技術者をかかえ、たくさんの人に命令ができるような強い権力を持った人でなければできなかったでしょう。

古保利古墳群


北から見た古保利古墳群の並ぶ尾根

賤ヶ岳(しずがだけ)から山本山に至る細長い尾根上に、約3kmにわたってほぼ一列にならぶ前方後円墳8基、前方後方墳8基、円墳79基、方墳37基の約132基で構成された古墳群。時期は、古墳時代初期から終末期に至ります。いろんな形の古墳がたくさん集まっていることや造られた時代が長期にわたっていることなどから、全国でも屈指の古墳群として注目されています。

三川丸山古墳

丸山古墳は、虎御前山(とらごぜんやま)の最南端、通称「丸山」に作られた古墳時代の初期(1600年前)の円墳です。遺体をおさめた棺は粘土と朱(赤土)で固められたものと推定されています。多数の土器片とともに発掘された青銅製の鏡は、紀元前に漢(中国)で作られ、その後日本に渡来したものと考えられています。

茶臼山(ちゃうすやま)古墳


茶臼山古墳推定復元図

東上坂町の姉川古戦場を望む自然の山を利用した全長100の前方後円墳です。後円部の登り口から多数の円筒埴輪の破片が出土しました。 市内では最大の古墳で最も完全形に近い古墳です。ちなみに「茶(ちゃ)臼(うす)」とは、お茶の葉をすりつぶして抹茶にするための臼の一種です。古墳を横から見た様子が茶臼に似ているためにつけられた名前らしい。

教科書との関連

  • 小学社会6年上16頁「大昔のくらしと国の統一」《国が統一される》(日本文教出版)
  • 中学社会「歴史的分野」(日本文教出版)30頁《第2編「古代までの日本」③日本の古代国家の形成》