歴史に残る人や文化財
毛受家照 (毛受兄弟)
毛受家照とは
毛受家照は名を勝照とも言い、通称
主君のために身代わりになる
賤ヶ岳の合戦において、大岩山の初戦では柴田勝家の軍が勝利を得ましたが、羽柴秀吉のすばやい行動を予測しきれずに、次第に勝家側の敗色が濃くなっていきました。
そこで大将である勝家は自らが兵を率いて決戦を挑もうとしました。そのとき毛受勝助は、主君に対し、「ここはいったん
しかし加藤清正をはじめとする秀吉軍の一斉攻撃を受け、勝助以下全員が討ち死しました。勝家本人かどうかを見る首実検の結果、討ち取ったのは主君の身代わりとなって戦った勝助であることがわかりました。
この間に柴田勝家は、陣容を整えるために北の庄の自分の居城にたどり着くことができたのでした。
主君のために命を投げ出して戦った兄弟の姿は秀吉をいたく感動させ、その霊を厚くとむらいました。
今も残る兄弟の墓と守り続ける地元の人たち
毛受兄弟の忠節(ちゅうせつ)は、後の世までも語り継がれ、明治9年(1876)この地を訪れた滋賀県令(県知事)
教科書との関連
- 小学社会6年上70頁「天下統一と江戸幕府」《信長・秀吉・家康と天下統一》(日本文教出版)
- 中学社会「歴史的分野」(日本文教出版)106頁《第4編「近世の日本」天下統一と近世社会の基礎づくり》
参考資料
- 滋賀県観光情報ホームページ
- 「ふるさと伊香」(伊香郡社会科教育研究会編)