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わたしたちの市の歩み

歴史に残る人や文化財

北近江の観音様

琵琶湖の北にある長浜市は、仏教文化財の宝庫です。特に「観音菩薩」像はあちらこちらに分布し、集落の数に匹敵するほど多くの観音像が今なお村人たちによって大切に守られています。 京都や奈良などのような大伽藍だいがらんを構える寺院はなく、そのほとんどは小さな村のお堂につつましく安置されています。
どうして湖北地方には観音様が多く残されているのでしょう。近くの観音様のことを調べてみましょう。

守りついできた人々の歴史


赤後寺「千手観音立像」

村々にあった天台宗の寺院の多くはさびれて無住・廃寺化しましたが、そこに残された尊い仏像たちは、宗派の枠を超えて、村の守り本尊として人々に迎えられていきました。
戦国時代、湖北地方を巻き込んだ戦乱の中、村々は焼き討ちにあいましたが、村人たちは観音像を川底に沈めたり、地中に埋めたりして守ってきました。
今でも観音様を大切にする心はこの土地に息づいています。仏像の作られた年代や新旧、文化財指定の有無などを越えて、村人たちは自分の村のホトケたちに対して、限りないほこりと親しみを持って手厚く守っています。

人々の心をとらえる観音様の姿

作家の白州正子しらすまさこは、高月・渡岸寺どうがんじの国宝十一面観音に出会った様子をこのように書いています。
「私がはじめて行った時は、ささやかなお堂の中に安置されており、索漠さくばくとした湖北の風景の中で、思いもかけず美しい観音に接した時は、ほんとうに仏にまみえるという心地がした。ことに美しいと思ったのはその後ろ姿で、流れるような衣文のひだをなびかせつつ、わずかに腰をひねって歩み出そうとするその動きには、何ともいえぬ魅力がある」また同じく作家の井上靖は小説「星と祭」の中で石道寺の十一面観音の美しさにふれ、「村の娘さんのお姿をお借りになって、現われていらっしゃるのではないか」と表現しています。仏像の姿の美しさだけでなく、千年以上も村の人々が守り伝えてきたことが多くの人々に感動を与えています。
たとえば、木之本町の黒田安念寺(あんねんじ)の「いも観音」は、合戦の兵火から守るために田んぼに埋め、掘り起こし、近くの余呉川で洗い清めたために、鼻や口など形もわからないようなお姿になりましたが、今も大切に拝まれています。また、西浅井町大浦の十一面観音立像は「腹帯はらおび観音」と呼ばれ、子授け、安産の観音様として信仰されてきました。それぞれの観音様には、作られた年代や守られてきた歴史、村の人たちの思いなどがあります。わたしたちの町の観音様のことを知り、どう未来に伝えていくかが大切な課題(かだい)です。

東京に出張された観音様

2014年3月21日~4月13日まで東京芸術大学で行われた「観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-」にはこうした観音様の中から18体が展示されました。21日間に予想を超える2万人の人が入場されました。素朴な観音様のお姿や何百年も地域の人々が守り続けてきたことが人々の心をとらえました。

参考文献

  • 近江文化を育てる会「近江観音の道」サンライズ出版
  • 井上靖「星と祭」角川書店
  • 白州正子「近江山河抄」「十一面観音巡礼」「かくれ里」(講談社文芸文庫)
  • 「ふるさと伊香」(伊香郡社会科教育研究会編)