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わたしたちの市の歩み

歴史に残る人や文化財

山内一豊 (1545~1605)

戦国時代から江戸時代にかけ、に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、最後は土佐藩主となった武将です。 また、妻千代は「内助の功」として知られています。長浜とは、どんなつながりがあったのでしょうか。

長浜城主として

尾張(おわり)の国に生まれた一豊は、信長、秀吉に仕え、姉川の合戦で活躍し、浅井郡唐国からのくに(唐国町)で領地を与えられました。 さらに賤ヶ岳の合戦でも活躍し、天正13年(1585)、秀吉から、2万石を与えられ、長浜城主となりました。秀吉・柴田勝豊に次ぐ3代目の長浜城主です。 ところが城主になった喜びも束の間、同年11月、近畿から東海をおそった大地震によって、当時6歳の一人娘よね姫が城の下じきになって亡くなりました。 その数年後、長浜城下に捨てられていた男の子を引き取り「拾」と名付けて育てています。 その子は、後に湘南和尚しょうなんおしょうとなり、千代の17回忌の折、京都妙心寺大通院に御霊屋みたまやを建てています。

山内一豊の屋敷跡

長浜駅西のマンション(「サーパス長浜豊公園」)の前辺りにあったといわれます。(公園町)長浜城主秀吉の家臣だった時の屋敷跡と推定されています。

一豊と千代

山内一豊の妻・千代について有名なエピソードは、「名馬を買う」話です。 ある日、馬市で一豊は、名馬を見つけましたが、値段が高すぎて買えませんでした。がっかりして家に帰った一豊は、そのことを千代に話しました。 すると千代は、「その馬をお買いなさいまし」と、鏡箱から黄金十両を取り出し、渡しました。この黄金は、育ての親が鏡箱の裏に「何かのときに使いなさい。」と持たせてくれたものでした。 一豊も千代のお金をそうそう使えないと思いましたが、千代は、「夫の功名のため」と言い、一豊は、その黄金で馬を買いました。 その後、京都で行われた馬揃えで信長の目にとまり、「名馬によって織田の名前を高めた。」とほめられたということです。

教科書との関連

  • 小学社会6年上64頁「天下統一と江戸幕府」《信長・秀吉・家康と天下統一》(日本文教出版)
  • 中学社会「歴史的分野」(日本文教出版)82頁《第3編「中世の日本」中世の女性たち》

参考資料

  • 「読本長浜の歴史」 長浜市立教育研究所
  • 「一豊と秀吉が駆けた時代」長浜城歴史博物館