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わたしたちの市の歩み

歴史に残る人や文化財

石田三成 (1560~1600)

坂田郡石田村(今の長浜市石田町)に生まれた三成は、若くして秀吉に才能を見いだされ、秀吉の家来として取り立てられます。以後、秀吉の側近として秀吉の天下統一を支えました。三成はどんな人だったのでしょうか。

秀吉との出会い


石田三成肖像(長浜城歴史博物館蔵)

幼名を佐吉といった石田三成は、観音寺で修行をしていました。
ある日、鷹狩りの途中に豊臣秀吉が、観音寺(木之本町古橋の三珠院との説もあります)に立ち寄り、茶を求めたところ、佐吉は、大きな茶碗にぬるめのお茶をたっぷり持ってきました。 飲み干した秀吉が二杯目を求めると、今度はやや熱めのお茶を、茶碗に半分入れて持ってきました。さらに秀吉が三杯目を求めると、次は熱いお茶を小さな茶碗に持ってきました。 三成は鷹狩りでのどが渇いている最初の一杯目は急いで熱いお茶を飲むとやけどをするので、呑みやすいぬるめのお茶を持っていき、のどの渇きが癒えるにつれて、くつろいでもらうために熱いお茶に変えていったのです。 秀吉は佐吉の子どもながらに相手を思う行き届いた心づかいに感心し、三成を家臣に取り立てます。

出世への道

天正10年(1582)に本能寺の変により、織田信長が自害した後、石田三成は豊臣秀吉と柴田勝家かついえの争いである「賤ヶ岳しずがたけの合戦」に「先懸衆さきがけしゅう」として活躍します。「先懸」とは、戦場で真っ先に敵陣につっこんでいく役割で名誉ある役職ですが、命を落とす危険も高いものです。 その後、秀吉の家臣(かしん)として九州征伐(せいばつ)や、小田原(おだわら)攻(ぜ)めなどにも参加し、秀吉の天下統一事業を参謀(さんぼう)としてサポートします。参謀(さんぼう)とは、作戦を練(ね)ったり、兵の配置(はいち)を考える役職です。 秀吉は、三成の経済的感覚を頼りにしており、三成を大切にしていました。 天正19年(1591)に32歳の三成は近江や美濃に領地を与えられ、佐和山さわやま城を築いています。

関ヶ原で家康と戦った、悲運の知将

石田三成は、秀吉の長浜居城時代に家臣になりました。26歳で奉行に抜擢されて以来、秀吉の全国統治の基盤となった「太閤検地」を指導するなど、主に行政面で秀吉政権を支え、秀吉政権の最高幹部となりました。 しかし、秀吉の死後、徳川家康が力をのばし秀吉の子である秀頼ひでよりをないがしろにするようになります。
恩義のある豊臣方を守ろうとする三成は、徳川家康をはじめとする東軍の武将たちと対立し、ついに天下分け目の関ヶ原の合戦にのぞみます。 全国の武将たちは、豊臣秀頼・石田三成の軍である西軍につくか、それとも家康の軍であるか東軍につくか、決断を迫られます。
最初は、石田三成の率いる西軍が優勢でしたが、味方の裏切りによって西軍は総崩れとなり、ついに東軍が勝利を収めます。
西軍が破れた後、三成は伊吹山から、さらに母親の実家のある古橋村(現在の木之本町古橋)に逃れ、立て直しを図りますが家康の追っ手に捕まり、京都六条河原で首をうたれました。

腹心島左近しまさこんとのエピソード

手柄を認められた三成は、4万石を秀吉から与えられて、新たな家臣を雇うことになったときのことです。 秀吉が新しい家臣について尋ねたところ、三成はもう一人雇ったことを伝えます。秀吉が「いかほどの俸禄で雇ったのか」と尋ねたところ、三成は「自分の領地の半分である2万石を家臣に与えた」ことを伝えます。 その家臣が島左近だったのです。
島左近は大和国(奈良県)の出身で非常に優秀な武将でしたが、誰にも仕えないことで有名でしたので秀吉は大変おどろきました。また、家臣と主人が同じ俸禄であることはあり得ないことです。
それほどまでに三成は、島左近を大切にしていたのでした。
その後、三成の領地が増えたので、三成が島左近の俸禄を挙げようとしたところ、島左近は「いくら殿が出世されても、私は2万石で結構です。どうかその分で他の家臣たちの俸禄を挙げてやって下さい」と辞退したそうです。

石田三成祭

石田町では、400年以上にわたって法要がとりおこなわれてきました。今も石田三成祭として11月の第1日曜におこなわれています。 八幡神社はちまんじんじゃの特設ステージでは、記念講演会や石田三成のふるさとクイズを、 石田会館では史料展、草の根広場でスタンプラリーや戦国屋台をおこなうなど郷土の先人をしのぶ取組が続けられています。

参考資料

  • 読本『長浜の歴史』(長浜市立教育研究所)
  • 常設展示 湖北・長浜のあゆみ(市立長浜城歴史博物館)

教科書との関連

  • 小学社会6年上72頁「天下統一と江戸幕府」《江戸に幕府を開いた徳川家康》(日本文教出版)
  • 中学社会「歴史的分野」(日本文教出版)114頁《第3編「中世の日本」江戸幕府の成立と東アジア》