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わたしたちの市の歩み

歴史に残る人や文化財

大通寺

「長浜御坊ごぼうさん」として親しまれてきた大通寺。どんな時代の文化が残されているのでしょう。

大通寺(長浜御坊)の山号は、無礙智山むげちざん)といいます。 伏見桃山城の遺構と伝わる本堂や大広間、長浜城の追手門を移築した脇門(薬医門)など、建物の多くが国の重要文化財、あるいは市の指定文化財です。

  • 大通寺本堂<国指定重要文化財>

江戸時代中期から後期にかけて、大通寺は彦根藩井伊家ひこねはんいいけとの関係を深めていきました。
左の写真は、江戸幕府の大老となった井伊直弼いいなおすけの7人目の娘で、安政4年(1857)に大通寺の養女となった砂千代さちよの所用のかごです。明治5年(1872)5月、大通寺第10代住職と結婚しました。

大通寺広間は、本堂とともに、伏見城ふしみじょうの遺構を移築した物と伝えられる書院造りの建物です。
伏見城にあった頃は、公式の対面所(謁見の間)として使用されたと考えられます。 上段中央に3間の大床、向かって右側に帳台構え、左側に違棚ちがいだなと書院を一列に配置しています。 ふすまの絵は、作者不明です。大床の獅子の絵は、中央部分が空間になっているため、上段中央に人物が座ることを想定して描かれていることが考えられます。

  • 大通寺広間 正面に向かって左側

  • 大通寺広間 正面に向かって右側

教科書との関連

  • 小学社会6年上55頁「今に伝わる室町の文化と人々のくらし」《室町文化が生まれる》(日本文教出版)
  • 中学社会「歴史的分野」(日本文教出版)110頁《第4編「近世の日本」⑥安土桃山時代の文化》

資料提供

  • 大通寺