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わたしたちの市の歩み

歴史に残る人や文化財

国友一貫斎いっかんさい (1537~1598)

国友町で鉄砲鍛冶の子として生まれた一貫斎は、江戸時代を代表する天才科学者、発明家となりました。さまざまな研究や発明で社会に貢献しました。

鉄砲鍛冶 一貫斎


国友一貫斎肖像画
(長浜城歴史博物館蔵)

国友一貫斎は、安永7年(1778)国友で生まれ、幼名を藤一といいました。9歳で父の名を継いで国友藤兵衛とうべえと名のり、一貫斎と号しました。 幼少のころからの父の厳しい教えを受け、17歳で父のあとを継ぎ、腕の良い鉄砲鍛冶として活躍しました。

発明家 一貫斎

一貫斎は、文化8年(1811年)彦根藩が鉄砲の製作を命じる相手を巡ってのトラブルのためにおこった彦根事件がきっかけとなって、7年にわたって江戸に滞在しました。 この間に松平定信まつだいらさだのぶや平田篤胤あつたねなど多くの人々との出会いによって、新しい知識を吸収しました。 そして、一貫斎は創意工夫した鉄砲の製作法を書物に表し、これにより鉄砲が大量生産できるようにしました。 また、一貫斎は鉄砲作りの名工にとどまらず、発明家としても数々の業績を残しています。 江戸から帰った一貫斎は、新しい知識と自らの独創的なアイディアで次々とすばらしい発明をしています。気砲(空気銃)、懐中筆(万年筆)、玉燈ぎょくとう(経済的で明るい照明器具)など、彼の発明によるものです。


  • テレスコプ遠眼鏡之図

  • 反射望遠鏡(長浜城歴史博物館蔵)

科学者 一貫斎

一貫斎の生涯で最も重要なことは、反射望遠鏡はんしゃぼうえんきょうとの出会いです。
江戸でオランダ製の反射望遠鏡を初めて見た時、一貫斎は自分の知らない未知の世界に驚き、心を奪われたのです。
それから10年あまり後、長年の願いであった反射望遠鏡を作り始めました。書物も指導者もない当時のことですから、苦心と失敗の連続でした。 しかし、あきらめず努力を積み重ね、ようやく望遠鏡を完成させました。それから月・星・太陽を観測しながら50倍の天体望遠鏡を完成させました。 一貫斎は、自ら観測を行い、しっかり記録を残しました。特に太陽の黒点の観測記録は、世界の天文史学上大切な資料とされています。

教科書との関連

  • 小学社会6年上92頁「江戸の社会と文化・学問」(日本文教出版)
  • 中学社会「歴史的分野」(日本文教出版)30頁《第4編「近世の日本」②江戸時代の文化と学問》

参考資料

  • 読本「長浜の歴史」(長浜市立教育研究所)
  • 常設展示図録 「湖北・長浜のあゆみ」(市立長浜城歴史博物館)