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わたしたちの市の歩み

歴史に残る人や文化財

宗範そうはん(1758~1840)

辻宗範は、長浜を代表する小堀遠州の始めた遠州流の茶道を伝授しました。どんな人だったのでしょう。

辻宗範とは?


辻宗範肖像画
(長浜城歴史博物館蔵)

辻家は室町時代の文明年中(15世紀)以来、国友の郷士として活躍し、代々又左衛門またざえもんを襲名しました。 宗範は、10代目の名前で、壮年期は、又之進と号し、彼の妻(モン)は浅井町小室の高橋権太友ごんだゆうの娘でした。 なお、叔父の丹治は彫金師の臨川堂充昌、国友藤兵衛一貫斎は甥(姉みわの子)にあたります。
宗範は宝暦8年(1758)に生まれ、天保11年(1840)8月27日に83歳で生涯を閉じました。宗範は、幼い頃に富岡友喜という師について漢学をはじめ諸学を学びました。 彼は茶道、華道、礼法、和歌、俳句、絵画、書道、造庭など多方面にわたり豊かな才能を発揮しましたが、特に茶道、礼法、書道では奥義を極め、多くの門人を養成しました。 文化6年(1809)、宗範は後に小堀家当主となる遠州流8代宗中にも奥義を再伝授しました。遠州流茶道ではこれを「返し伝授」と呼び、遠州流では今なお宗範を「中興の立役者」と称えています。
その後、将軍家の茶道師範を務め、晩年は尾張藩から高禄での招きを受けましたがそれを断り、晩年は国友の地にありました。いろいろな人と交わりをもち、浄土真宗の信仰を深めるなどして、生涯を閉じました。 現在も、国友町に辻宗範の自宅跡地が残っています。

辻宗範がうけついだ遠州流の茶道とは?

桃山時代に千利休が創始した利休流茶道は各流派に分かれ、利休の弟子「利休七哲」の一人、古田織部おりべは武家茶道の確立に力を注いで織部流を創始しました。
その織部に茶の湯を学び、独自の創意を加えて創始したのが小堀遠州でした。 小堀遠州は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家であり、彼のつくりだした遠州流茶道は、格式ある大名茶道として現在にも受け継がれています。