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わたしたちの市の歩み

歴史に残る人や文化財

山岡孫吉やまおかまごきち(1888~1962)

農業機械などで有名なヤンマーをおこした山岡孫吉は、どんな人だったのでしょう。

ヤンマーをおこす

世界初の小型ディーゼルエンジンを開発したヤンマー創業者です。孫吉は、明治21年(1888)伊香郡南富永村東阿閉あつじ村(現高月町東阿閉) で2反の田地を耕す山岡忠三郎と妻くにの間に生まれました。10人兄弟の6番目でした。
尋常高等小学校を卒業後、明治36年(1903)3円60銭を手に大阪のメリヤス問屋に奉公に出ました。 その後、明治38年(1905)大阪瓦斯がすの作業員として働きはじめた時にガスエンジンに出会い、技術を学びました。
さらに明治45年(1912)、中古ガスエンジンブローカー業を開業し、「山岡発動機工作所」(現ヤンマー株式会社)を創業しました。 大正10年(1921)には、農業用小型石油エンジンを開発し、商標を豊作の使者であるトンボの親玉であるオニヤンマにちなみ「ヤンマー」としました。

ディーゼルエンジンとの出会い


世界初の小型ディーゼルエンジンHB型

貧しい農家に生まれ、農家の人々の厳しい仕事を見て育った孫吉は日頃より、使いやすい小型エンジンを作り、農業の機械化により農家の人々の仕事を少しでも楽にしたいと考えていました。 そこで、石油エンジンを使った動力もみすり機、動力精米機、動力ポンプ等を次々と作り出していきましたが、エンジンの爆発事故などトラブルも続き、順調にはいきませんでした。
そのころ、気分転換をかねて訪ねたドイツで出会ったディーゼルエンジンの優秀さに心をひかれ、帰国後、小型ディーゼルエンジンの製作に没頭します。 度重なる失敗を重ねながら昭和8年(1933)12月23日、ついに、世界で初めて小型ディーゼルエンジンの開発に成功しました。
第2次世界大戦後の昭和28年、再びドイツを訪れた孫吉は、ディーゼルエンジンを発明したディーゼル博士をたたえる記念碑を作ることを決意しました。 博士が少年時代を過ごしたドイツのアウクスブルグ市に昭和32年(1957)秋、ディーゼル博士生誕100年・ディーゼルエンジン発明60周年の機会に記念石庭苑を寄贈しました。

美しき世界は感謝の心から

山岡孫吉の座右の銘であり、「人生は、運・不運に左右されることも大きかろうが、それでも誠実さと、感謝の心を失わないで努力していれば、よき協力者を得て道も開け、人からも感謝されて、 美しい世界が自ずから開けてくるのではないだろうか。」という、彼の基本的な考え方を表した言葉です。現在高月の小中学校では、この記念碑が前庭に備えられています。

ふるさとへの思い

孫吉自身、ふるさとへの感謝の思いを持ち続け、貧しい農家に生まれて農作業を手伝って育った経験から、ふるさとの人々のくらしがよくなるように、ふるさとの近くの町にいくつもの工場を建て、人々の働く場を作りました。 小型ディーゼルエンジンを開発したのも農家の人たちが少しでも楽に作業ができることを願ってのことでした。 また、ふるさとの子どもたちが安心して勉強できるようにと「山岡育英会」を設立し、奨学金の給与などの運営もはじめました。これは今も続いています。

ヤンマーミュージアム


ヤンマーミュージアム内の山岡孫吉記念室

平成25年(2013)、ヤンマー創業100周年を記念して、市内三和町にヤンマーミュージアムがオープンし、多くの人が訪れています。

教科書との関連

  • 中学社会「歴史的分野」198頁(日本文教出版)《第5編「近代の日本と世界⑥近代日本の社会と文化・近代化産業遺産を調べよう》