歴史に残る人や文化財
戦争中の学校
16年間の長い戦争の間、学校のようすはどうだったのだろう。
昭和12年(1937)7月7日、
兵役の対象にあった男子は、次々と出征していきました。
児童は、手に手に日の丸の小旗を打ち振って出征兵士を見送りました。女子は街角に立って
夕陽ヶ丘農場における食糧増産
食糧増産にもはげみ、運動場までが芋畑へと変わっていきました。夏休みに入ってからも登校し、訓練や作業にあたりました。
昭和19年(1944)9月、戦争がはげしくなると、大阪などから集団疎開児童を受け入れました
疎開の友だちを迎えた作文
戦時下の授業の様子
児童作品
国語の教科書には、「にいさんの愛馬」「ゐもん袋」「三勇士」「戦地の父から」など、図画では、「勇ましい兵隊さん」の絵や「陸戦」の紙工作などをし、唱歌では、軍歌やマーチを歌い、体操では、体の鍛練が強化され、学校教育は、軍国色を増していきました。
耐寒心身鍛錬運動
出征される先生をかこんで
児童の日記
千人針
腹巻きくらいの白い布に千人の女性が赤い糸で1個ずつ合計千個の結び目をつけたもの。これを体にまいていると弾が当たらないといわれた。
教科書との関連
- 小学社会6年上138頁「アジア・太平洋に広がる戦争」《戦争と人々のくらし》(日本文教出版)
- 中学社会「歴史的分野」232頁(日本文教出版)《第5編「近代の日本と世界⑤第2次世界大戦と日本》
資料提供
- 「長浜小学校 百年誌」、滋賀県平和祈念館