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わたしたちの市の歩み

歴史に残る人や文化財

宇治橋春年うじはししゅんねん(1897~1981)

日本画家 宇治橋春年とはどんな人だったのでしょう。

春年は、現在の長浜市北ノ郷町に生まれ、幼名は草野信定といいました。 春年は幼少から絵に興味を持ち、大正3年(1914)長浜農学校を卒業後、京都に出て、京都画壇の重鎮・山元春挙しゅんきょの門下生となり、円山派の基礎を学びました。

その後、京都から地元に帰り、北ノ郷の薬師堂の再建にあたって旧の薬師堂の境内図を作成しました。北ノ郷で行われる伝統行事「オコナイ」には、今も当番役の家にこの境内図の軸がかけられます。 また、この頃、湖北から南米のブラジルやペルーに移住する人たちがいました。この人たちに、故郷の伊吹山や大依山おおよりやまの絵を贈ったというエピソードも残っています。 ここからふるさと湖北の風景画は春年の画題のひとつとなりました。
大正12年(1923)北ノ郷・宇治橋家のむこ養子となり札幌へ移住しました。 この頃、大正天皇・皇后陛下の銀婚のお祝いとして「旭日桜花図きょくじつおうかず」を皇室に献納しています。

昭和6年(1931)には長浜に戻りましたが、昭和16年(1941)には、長浜市川道町の「南寿荘」というところに住んで、「緑渓遊禽りょくけいゆうきん」の渓谷に鳥が遊ぶ絵を描いた屏風を残しました。

第二次世界大戦後は、自宅を「錦雲荘きんうんそう」と名づけて作品をかき続けました。公共機関や神社、お寺などからの依頼を受けてかいた大作が今も各地に残っています。

参考資料

  • 「長浜にゆかりのある人物」長浜観光協会編