ふるさとの伝統を守る
冨田人形
冨田人形のあゆみ
冨田人形の今
冨田人形共遊団の活動によって今も受け継がれています。
この歴史ある民族芸能も、兼業農家の増大や人形づかいの高齢化などによって一時はその伝統の灯が消えかけようとしていましたが、昭和54(1979)年に新生「冨田人形共遊団」として再発足。 北冨田に居住する人々を中心にして、市内外の人形を愛好するメンバーが集まっています。職業も公務員、会社員、団体職員、主婦などさまざま。人形づかい、三味線、浄瑠璃の太夫、舞台道具方、かげうち(上手袖の床に「付板」を置き、拍子木で打つ「つけ音」のこと)、口上などの役割により構成されています。 日々の練習に励み、人形浄瑠璃の保存と継承に努めるとともに、人形浄瑠璃をとおして、地元の小・中学生や地域住民、さらには海外からの留学生を迎え、文化交流、後継者育成に努めています。 また平成6年のニュージーランド公演を皮切りに、平成18年まで5回の海外公演もこなしており、滋賀県の誇る伝統芸能の紹介にも貢献。 こうした活動により、昭和62年(1987)に「滋賀県文化奨励賞」、平成6年に「ブルーレイク賞」、平成15年に「滋賀県文化功労賞」など数々の栄誉に輝いています。 世界無形遺産に指定されました。日本だけでなく海外とのつながりも深くなっています。年間約3,000人の見学者が訪れています。
定期公演:年に三回ほどリュートプラザにて一回の公演で演目は二つほど。
一つの演目は約1時間~1時間20分ほど。
*左は留学生による演目風景。
冨田人形共遊団の阿部さんより~市内の子どもさんへ~
伝統文化を活用することに意味があります。それがやがて技術となり、自信にもつながっていきます。 近くの小学校の卒業生も現在活躍中です。
どうやって人形を動かすの
人形づかいの三人でひとつの人形を動かします。
人形の仕組み
人形一体は最低でも120万円ほどかかっています。頭部だけでも60~65万円かかるそうです。 (人形を動かした後、もとの状態に戻らせるバネには、なんとクジラのひげが使われているのです。金属のバネでは長い間使っているとさびてしまうからです。)
演目の紹介
冨田人形共遊団が持つ14演目のレパートリー中から8演目を紹介
時代物
公家や武家社会に起こった事件や物語を題材にしたものです。江戸時代以前、平安時代から戦国時代を背景にしています。
日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら) ---渡し場の段---
道成寺にまつわる安珍・清姫の伝説を扱ったこの作品は、「道成寺現在は蛇鱗」の四段目「清姫日高川の段」を改作したものです。
皇王争いに巻き込まれた安珍は、追手から逃れ熊野の真那古庄司のもとに辿りつき恋人と巡合い道成寺に向かいます。
ところが、庄司の一人娘の清姫も安珍に恋心をつのらせ、嫉妬のため逆上した後を追いかけるのです。日高川にやってきた清姫は、船頭が渡してくれないとみるや、蛇となって泳いで渡ります。
その蛇体に早変わりするシーンや、大きく開く「ガブ」という特殊な首(かしら)が使われるのも見どころです。
似合夫婦出世絏(にあいのめおとしゅっせのひきつな)---一豊住家の段---
(平成18年度初演・新作)
秀吉の出世城として知られ、一豊にとっても初めて一国一城の主となった長浜城に、一豊は千代とともに住み、激しい戦国の世を生き抜き、戦功を挙げ、出世の足がかりをつかんでいきました。
その影で夫を支え、常に「功名でござります」と励まし、波乱の時代を生きる知恵と勇気を与え続け、一途な夫婦愛と厚い信頼で結ばれた二人は、更なる功名をめざします。
夫の窮状を救うために黄金10枚を差しだそうとし、母の手紙に心を震わせる千代の姿がけなげです。
鬼一法眼三略巻(きいちほうがんさんりゃくのまき)---五条橋の段---
文耕堂、長谷川千四が合作したもの
夜な夜な通行人を襲う曲者が出るという噂の京都五条大橋が舞台です。その曲者を捕らえようと、物々しい武具を携えた、比叡山の西山の荒法師武蔵坊弁慶が現れます。
橋の欄干に佇んでいた優美な少年が大柄な弁慶に争いを仕掛けます。弁慶と牛若丸(源義経)の出会いと源氏再興の発端発端の物語です。
弁慶と牛若丸との運命的な出会いを勇壮に、ユーモラスに、義太夫節の独特の音色にのって人形が軽妙に立ち回ります。
世話物
ちまたに起こった事件や物語などを題材にしたものです。庶民の日常などを題材にしたものです。庶民の日常がリアルに描かれています。
傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)---巡礼歌の段---
近松門左衛門作「夕霧阿波鳴渡」を近松半二、松田文吉らが改作したもの。
明和5年(1768)、大板竹本座で初演。浄瑠璃の本場〔阿波(徳島)〕においては人形浄瑠璃といえば誰もが思い浮かべる定番中の定番です。
徳島藩のお家騒動に絡み、隠れ身となっている母〔お弓〕の元に、はるばる故郷から巡礼姿の娘〔お鶴〕が尋ねて来ますが…親子の再会そしてベ別離の切ない物語です。
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)---お七火の見櫓の段---
「八百屋を七」として知られる演目。安永2年(1773)、大板北堀江座初演。菅専助、松田和吉らの合作による八段続きの世話物。
今日では、この六段目だけが残っており、それも段末の櫓の部分だけを上演する機会が多くなっています。
衣装を肌脱ぎにし、髪振り乱して火の見櫓に登る〔お七〕の様が見どころ。娘心の一途さが凄惨でもあり、美しくもあります。
東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)---赤坂並木より古寺の段---
享和2年(1802)に刊行された十返舎一九の名作滑稽本「東海道中膝栗毛」の趣向を取り入れ、脚色したもので作者も年代不詳です。
上方(京・大板)見物のため、江戸を出発したヤジさんこと〔弥次郎兵衛〕と、キタさんこと〔喜多八〕のユーモラスな動きと語りが面白く、現代風やご当地風にアレンジされた語りやアドリブが聞きどころです。
壷坂観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)---沢市内の段---
明治期の人形浄瑠璃「西国三十三番札所観音霊験記」がもと。三味線の名人といわれた豊澤團平が作曲。のち團平千賀女夫妻が加筆改作。
盲目の〔沢市〕を思い、女房の〔お里〕は毎日壷坂寺の観音様に願かけに参じていました。
沢市もそれを知り、二人で壷坂寺へ行きますが…。お里が針の仕事をしている場面はとてもリアルで見どころの一つです。
また、この作品は〔---山の段---〕へと続き、沢市の目が見えるようになるめでたしめでたしの物語です。
景物
公能狂言、歌舞伎などから独立した物で、音楽的で舞台の要素がつよく、華やかでスピーディーなものです。
寿式三番叟(こどぶきさんばそう)---鈴の段---
近松門左衛門作「夕霧阿波鳴渡」を近松半二、松田文吉らが改作したもの。
明和5年(1768)、大板竹本座で初演。浄瑠璃の本場〔阿波(徳島)〕においては人形浄瑠璃といえば誰もが思い浮かべる定番中の定番です。
徳島藩のお家騒動に絡み、隠れ身となっている母〔お弓〕の元に、はるばる故郷から巡礼姿の娘〔お鶴〕が尋ねて来ますが…親子の再会そしてベ別離の切ない物語です。
出典
- 『冨田人形ワークシート』 長浜市歴史文化科
画像提供
- 冨田人形共遊団