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古代

葛籠尾崎湖底遺跡つづらおざきこていいせき

100年近く前、湖北町尾上沖で漁師の網にかかって上がってきた正体不明の土器。このことをきっかけに湖底遺跡の調査が始まったのである。

謎の湖底遺跡

滋賀県には約4650箇所の遺跡がある。その中で琵琶湖や内湖の湖底にある遺跡を湖底遺跡と呼ぶ。 湖底遺跡の数は約80箇所だが、そのほとんどがかつては陸上にあったものの、琵琶湖の水位の上昇や地盤沈下により水没したと考えられている。しかし、葛籠尾崎湖底遺跡はそれでは解明されない謎の遺跡なのだ。 葛籠尾崎湖底遺跡は、この葛籠尾崎の沖10~700m、湖岸に添って北へ数kmの範囲、水深10~70mの湖底に位置している。

地元漁師により発見

大正13年(1924)末に湖北町尾上の漁師さんが、イサザ漁で数個の縄文・弥生土器を引き上げたことからその存在が明らかとなった。 現在までに縄文時代早期・前期・中期・後期・晩期、弥生時代中期・後期、古墳時代、奈良時代、平安時代の各期の土器等が引き上げられている。 土器は完形品が多く、風化がほとんど見られず数千年、数百年の時を経てきたとは思えないほど原形を良く留めている。
また、一般的に遺跡から出土する土器は土の中に埋もれているが、この葛籠尾崎湖底遺跡の土器は土中に埋没せず湖底に露出した状態で沈んでいる。 これは、葛籠尾崎周辺に河川がなかったため土砂が堆積せず、土器等が沈んだ当時のままの状態で現在まで残ったからだと考えられている。

出土物の特徴

遺物の中で最も古いものは、縄文時代早期、七千年ほど前の底の尖った砲弾の形をした尖底深鉢と呼ばれる土器だ(写真中)。
縄文時代中期の深鉢、後期の急須のような珍しい形をした注口土器(写真下)などがあり、形や文様から各地から文化が伝わったことがわかっている。 その他、弥生時代の壺や甕、古墳時代の須恵器などの土器類の他、磨製石斧なども発見されている。
葛籠尾崎湖底遺跡出土遺物は、縄文時代早期に人々が暮らしたことや各地から文化が伝わったこと、縄文時代早期以来、琵琶湖との関わりを持ったことなどを示す貴重な資料である。

葛籠尾崎湖底遺跡出土遺物は、湖北町尾上にある葛籠尾崎湖底遺跡資料館で保管・展示されています。

教科書との関連

  • 中学社会「歴史的分野」(日本文教出版)26頁①「日本人のルーツと縄文時代」

参考資料

  • 広報ながはま 平成24年9月1日号