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開催趣旨 |
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天正5年(1577)、「天下布武」を旗印に天下統一を狙う織田信長は、家臣の羽柴秀吉に命じて、毛利氏の勢力圏である中国地方への進攻を開始しました。これが「中国攻め」です。
秀吉率いる織田軍と、毛利輝元率いる毛利軍は、備前(現在の岡山県東部)・備中(現在の岡山県西部)の国境地帯で攻防を繰り広げました。天正10年(1582)3月15日、秀吉は毛利軍との雌雄を決するため、2万の大軍勢を引き連れて姫路城を出発。途中、宇喜多氏の兵1万と合流し、総勢で3万にものぼる大軍勢にまで増え、毛利軍の防衛ライン「境目七城」の主城である「備中高松城」へ向かいました。
第6回目となる今回のコーナー展示では、「秀吉と中国攻め」と称して、クライマックス部分である「高松城の水攻め」を中心に、秀吉とその周辺にいた人物達に焦点をあてます。
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