3階展示室_第4回
開催趣旨
 天文12年(1543)種子島に伝来した鉄砲(火縄銃)は、それまでの戦の方法を根本的に変えました。日本の歴史に大きな影響を与えたこの武器は、各地の鍛冶職人によって全国に伝播していきました。瞬く間に広がった鉄砲の生産地の一つで、全国的に知られた鉄砲鍛冶集団が、近江国坂田郡国友村(長浜市国友町)に居住した国友鉄砲鍛冶(くにともてっぽうかじ)です。
 国友鉄砲鍛冶の歴史を記した『国友鉄炮記』によれば、国友鉄砲の歴史は天文13年(1544)に室町幕府12代将軍・足利義晴(1511-50)が国友の鍛冶に鉄砲製作を依頼したことにはじまったといいます。その後、織田信長(1534-82)、羽柴秀吉(1537-98)のもと、鉄砲製作を行ったことが記されます。『国友鉄炮記』は、他書からの引用や史実と異なる点がみられることから、信憑性には疑問が持たれています。しかし、天文から永禄の初め頃(1555〜60頃)に出された越前の戦国大名・朝倉氏の一門とされる沙門宗秀(しゃもんそうしゅう)の書状に「国友丸筒」という言葉がみえ、戦国時代には実際に国友で鉄砲製作が行われていたことがうかがえます。
 16世紀半ばの湖北は浅井氏によって統括されますが、浅井氏と国友鉄砲鍛冶の関わりを示す史料は発見されていません。しかし、国友が小谷城の城下町として、浅井氏によって鉄砲鍛冶が集められたという説も提唱されており、浅井氏が戦で国友鉄砲を用いていた可能性は十分に考えられます。
 天正元年(1573)浅井氏に代わって湖北を統治した秀吉は、翌年、国友鉄砲鍛冶の藤二郎に100石の知行(ちぎょう・俸禄)を与え、鉄砲の製造を命じています。信長亡き後、明智光秀(?-1582)と天王山(京都府大山崎町)で争った山崎の合戦や天正11年(1583)に柴田勝家と天下を争った賤ヶ岳の戦いでは、国友鉄砲が用いられていたことでしょう。
 文禄4年(1595)佐和山城主となった石田三成も国友鉄砲鍛冶を召し抱えており、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の2ヵ月前には、合戦に備え鉄砲の新造を禁止する文書を国友鉄砲鍛冶に出しています。
 戦国期を通じ全国にその名が知られていった国友鉄砲鍛冶は、関ヶ原合戦にて三成を破った徳川家康によって、大量の鉄砲製作が命じられます。家康の命で製作された国友鉄砲は、慶長19年(1614)大坂冬の陣、元和元年(1615)大坂夏の陣で、攻城に用いられました。大坂の陣後、徳川幕府は一定量の鉄砲注文を国友に行い、国友鉄砲鍛冶は幕府御用鍛冶として活躍することになります。江戸時代を通じ、国友鉄砲鍛冶は、大坂・堺や同じ近江の日野とともに鉄砲の生産地として全国にその名を轟かせていきました。
 令和2年(2020)から放送が始まる大河ドラマ「麒麟がくる」は、明智光秀が主人公です。光秀と国友鉄砲鍛冶を直接結ぶ資料は見つかっていませんが、光秀は鉄砲の名手として知られた人物で国友鉄砲と関係があった可能性は高いといえます。そこで、今回のテーマ展は大河ドラマに合わせ戦国時代から江戸時代にかけて活躍した国友鉄砲鍛冶の歴史を、関連資料を通じて紹介します。

 
展示資料目録
 
1. 石田三成判物 1通 慶長5年(1600) 個人蔵(国友助太夫家文書)
2. 稲富銃法秘伝書 1帖 原本=慶長15年(1610) 本館蔵
3. 国友鉄炮記 1巻 原本=寛永10年(1633) 個人蔵(国友助太夫家文書)
4. 大坂夏之陣 1舗 嘉永元年(1848) 個人蔵(国友助太夫家文書)
5. 賤ケ岳合戦図屏風(右隻) 1隻 江戸時代(中期) 本館蔵
6. 火縄銃 銘江州国友藤兵衛作 1艇 江戸時代(後期) 本館蔵
7. 火縄銃 銘江州国友源之進珍英 1艇 江戸時代(後期) 本館蔵
        ほか 
 
□ 主催 長浜市長浜城歴史博物館
□ 会期

2019年12月5日(木)から2020年2月11日(火・祝)

□ 休館日

2019年12月27日(金)から2020年1月2日(木)、2月3日(月)

□ 会場 長浜市長浜城歴史博物館3階展示室
□ 開館時間 午前9時から午後5時(入館は午後4時30分まで)
□ 入館料 個人一般  410円   小・中学生 200円
  団体一般  330円   小・中学生 160円
※団体は20名以上
※長浜市・米原市の小・中学生は無料
 
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