 |
 |
2.反射望遠鏡 1基 江戸時代(後期) 本館蔵 (鏡筒部) 径6.8cm |
 |
江戸幕府の御用鉄砲鍛冶の1人であった国友一貫斎(くにともいっかんさい)が作製した反射望遠鏡。一貫斎は約10台の反射望遠鏡を製作したといわれていますが、現在確認されているものは長野県上田市立博物館蔵、彦根城博物館蔵、個人蔵のもの、そして長浜城歴史博物館蔵の4台です。鏡筒下に「天保七丙申歳中秋日一貫斎眠龍能当(花押)」と銘文が陰刻されており、上田市博のものに改良が加えられた2号機と推定されています。
この望遠鏡は、金属反射鏡が曇ってないこと、正確な光学面に研磨されている(光が反射しやすいように滑らかな面になっている)ことに加え、機械部分の精巧な加工など、非常に高い技術によって作られたものです。
昨年10月に、この望遠鏡の主鏡の調査を行いました。主鏡とは、反射望遠鏡の2枚の鏡のうち、光を集める役割をもつ部品です。副鏡と呼ばれるもう1枚の鏡を用いて光の進路を変え、光を鏡筒の外へ導き出します。その光を望遠鏡の接眼レンズで拡大して見ることによって、星のような遥か遠くにある物でも大きく見ることができるのです。
かねてより一貫斎の技術力の高さについては知られていましたが、この調査によって現在市販されている望遠鏡に付属している主鏡にも劣らない性能を持つことがわかりました。その調査成果の報告も兼ね、「一貫斎と天体について」をテーマに、私のイチオシを紹介します。
|
 |
|
 |
 |
|
3.仔犬に髑髏 巨勢小石筆 3幅対のうち1幅 江戸時代(後期)~大正時代
本館蔵 146.8×36.0cm |
 |
一度みるとクセになる「奇想」の世界
誰もが一度、博物館や美術館を訪れ、そこで展示されている一つの絵画作品に目を奪われて、ケースの前に立ち留まった経験があるのではないでしょうか?昔から、絵画はもちろん多くの美術作品が、人々を魅了してきました。
一つの絵画が私たちを惹きつけ、わざわざ博物館や美術館に足を運ぶ理由は作品や人によって様々です。画面に描かれたモデルの美しいプロポーションや鮮やかな色使いによって映し出された美が、人々を惹き込む絵画もあれば、ある作品は、そこに描かれた超絶技巧で観る者を感嘆させます。人を魅了する絵画とは、少なくとも何らかの理由で観る者の心を動かす絵画といえます。中には、美でも超絶技巧でもなく多くの人々を惹きつける絵画が存在します。それは、整ったプロポーションや綺麗な色使いとは真逆の癖の強い表現や、目を背けたくなるような残酷な表現によって、見る人の心を動揺させる絵画です。
奇抜な発想でこうした刺激的な絵画を描く絵師たちを、美術史の中に位置づけ、美術史界に大きなインパクトを与えた書籍が、昭和45年(1970)年に刊行された美術史家・辻惟雄氏(つじのぶお)の『奇想の系譜』です。
ここで紹介された、岩佐又兵衛(いわさまたべえ)や曽我蕭白(そがしょうはく)は、今でこそ有名ですが、当時は傍流としてほとんど注目されていない絵師でした。数年前には、この本をきっかけに脚光を浴びた伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の展覧会に長蛇の列ができたというニュースが世間を賑わせました。また、昨年には、東京都美術館で「奇想の系譜展」が開催され、さらに、今年は府中市博物館で「奇想」に対する「普通の系譜」展が開催されるなど、「奇想」という言葉は美術史の中で市民権を得て、「奇想」の絵師たちが描いた作品の人気は留まるところを知りません。
残念ながら、長浜城には『奇想の系譜』で紹介された絵師たちの作品は、ほとんど収蔵されていません。しかし、奇想の絵師たちが描いた絵のように、私たちの心を動揺させる画題や趣向の絵画を何点か収蔵しています。今回の展示では、なかなか陽の目をみる機会がないこうした作品にスポットライトを当てます。ぜひ長浜城の展示室にて「奇想」の世界を体験ください! |
 |
 |
 |
4.木造薬師如来坐像 1躯 木造 漆箔 玉眼 江戸時代 智蔵院蔵 像高27.7cm
|
 |
私たちの生活に大きな不安と負担を与えている新型コロナウイルス。感染拡大が続く中、長浜城歴史博物館も、臨時休館を余儀なくされています。
古代から今日まで、病はつねに人々の暮らしとともにありました。長い間、病は精霊や悪霊の仕業として恐れられ、人々はその苦しみや恐怖から逃れるため、さまざまな方法を用いてひたすら祈り続けてきました。
最近では、疫病をはらう力があるとされる妖怪「アマビエ」が、SNSを中心に注目を集めていますね。
このように、目に見えず、触れることのできない脅威や驚異に対して、どのように向き合い、打ち勝ってきたのでしょうか。
今回のイチオシ展では、コロナウイルスの早期終息と博物館を訪れる皆さまの心が少しでもほぐれることを願って、「厄除け・魔除け」をテーマに資料を選びました。
三川町の天台宗寺院、智蔵院(ちぞういん)の本尊として安置されていた薬師如来(やくしにょらい)坐像です。薬師如来は、東方浄瑠璃世界の教主で、医王如来(いおうにょらい)、大医王仏(だいいおうぶつ)とも呼ばれ、正しくは薬師瑠璃光(るりこう)如来といいます。菩薩としての修行時代に12の本願を起こして成仏したとされ、衆生(しゅじょう)の病苦を癒し、安楽を得させる仏で、仏教の伝来以後、治病の仏として広く信仰されてきました。
著名な薬師如来坐像としては、法隆寺金堂の薬師如来像(国宝)や薬師寺金堂の薬師三尊像(国宝)が知られるでしょう。また、滋賀県では、最澄が比叡山に建てた草庵の中にみずから刻んだ薬師如来像を安置し、それが根本中堂の前身になったと伝わります。
本像は、肉身部を金泥(きんでい)彩(漆を薄く摺り金の粉を蒔く方法)、衣部をしっぱく漆箔(仏像の表面を金箔で加飾する技法)とし、玉眼嵌入(ぎょくがんかんにゅう・眼に水晶などをはめこむ)で、右手は掌を正面に向けた「怖がらなくていいですよ」という意味を表す「施無畏印(せむいいん)」を示し、左手には薬壺(やっこ)と呼ばれる小さな壺を持っています。薬壺の中には、あらゆる苦しみを取りのぞく霊薬が入っているそうです。そして、下半身は裳(も)を着け、右脚を外にして台座の上に結跏趺坐(けっかふざ)しています。
なお、本像が伝わる智蔵院は、同じく三川町にある玉泉寺(ぎょくせんじ)の支院とされ、玉泉寺は、比叡山中興の祖・良源(元三大師)ゆかりの天台宗寺院の名刹として知られます。 |
|