3階展示室
開催趣旨
  元亀元年(1570)、浅井氏はそれまで同盟を結んでいた織田信長から離反し、武田信玄や本願寺、朝倉氏などにより構成された反信長包囲網へと加わることになります。
 同年9月から12月にかけて展開された志賀(しが)の陣で浅井・朝倉軍は、織田方の武将・森可成(もりよしなり)や信長の弟・信治を討ち、信長を追い詰めていきました。信長は、将軍・足利義昭や関白・二条晴良(にじょうはれよし)の協力を得て浅井・朝倉氏と勅命講和を結び、この危機を脱しました。一方浅井氏にとっては、信長を討つ最大のチャンスを逃したことになります。この講和は、勝敗に大差のなかった姉川合戦での敗北以上に浅井氏の滅亡へ影響を与えたできごとであったと考えられます。
 志賀の陣後の元亀2年(1571)、浅井氏領国の南端にある佐和山城(彦根市)に籠城していた磯野員昌が信長に降伏して城を明け渡します。また翌年1月、信長は秀吉に命じて姉川と朝妻(あさづま・米原市)間の往来を陸路・海路ともに禁止させました。これには朝倉氏や本願寺と浅井氏が連絡を取ることを防ぐ目的があったようで、姉川から朝妻に至る坂田郡全域が信長の制圧下にあったことを示しています。同年7月には、秀吉が小谷城清水谷の「水の手」まで攻め込んだほか、光秀率いる水軍により北近江の浅井氏拠点や竹生島が攻撃を受けました。続く天正元年(1573)、山本山城の阿閉貞征(あつじさだゆき)や小谷城焼尾を守っていた浅見対馬守らが降伏し、小谷城大嶽(おおづく)や丁野山城(ようのやまじょう)も信長の手に落ちました。
 奮戦した浅井氏でしたが、信長によって小谷城の包囲網を縮められ、同年8月29日に浅井久政、9月1日に長政が自害し、約50年にわたる浅井氏三代の歴史に幕を閉じました。
 今回の展示では、武田信玄像や織田信長朱印状などの資料を通し、浅井氏滅亡に至るまでを紹介します。0

 
展示資料目録
 
1. 浅井長政像 (複製) 1幅 (原)天正17年(1589) (原)高野山持明院蔵
2. 浅井三代記 紙本墨刷 1冊 元禄2年(1689)刊 本館蔵
3. 磯野員昌書状 光汲院宛 紙本墨書 1通 個人蔵
4. 織田信長朱印状 木下藤吉郎宛 (複製) 1幅 (原)元亀3年(1572)頃 (原)東京大学史料編纂所蔵
5. 小谷城絵図 (複製) 1幅 (原)江戸時代 (原)小谷城址保勝会蔵
6. 武田信玄像 紙本著色 1枚 江戸時代(後期) 個人蔵
7. 浅井久政書状
垣見助左衛門尉宛 (複製)
1巻 (原)天文13年(1544) (原)本館蔵
8. 下坂家略系 紙本墨書 1冊 江戸時代(後期)頃 本館蔵
9. 火縄銃 銘江州国友藤兵衛充俶 1挺 江戸時代(後期) 本館蔵
        など 
 
□ 主催 長浜市長浜城歴史博物館
□ 会期

令和3年2月11日(木・祝)から4月下旬まで

□ 休館日   会期中無休(予定)
□ 会場 長浜市長浜城歴史博物館3階展示室
□ 開館時間 午前9時から午後5時(入館は午後4時30分まで)
□ 入館料 個人一般  410円   小・中学生 200円
  団体一般  330円   小・中学生 160円
※団体は20名以上
※長浜市・米原市の小・中学生は無料
 
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