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主な展示資料

 
非常時における曳山祭の歴史   
まとまった記録が残る安永2年(1773)から長浜曳山祭は、資料上知りえる限り4回の延期、31回の休祭が知られます。延期とはその年内に本日(ほんび)を延期することであり、休祭とは子ども狂言(歌舞伎)や曳山巡行を行わない年を指します。ただし、休祭でも、狂言を中止するが曳山巡行を実施した万延元年(1860)や、一部の山組のみ狂言を行った明治42年(1909)のような場合もありました。
 江戸時代においては、江戸幕府将軍の逝去にともない9月の祭礼を10月に延期する場合がみられますが、当時の長浜町の領主・井伊直弼が桜田門外で暗殺された年は休祭しています。また、休祭は、幕末の騒乱や、日清・日露戦争、災害や米騒動、日中戦争や太平洋戦争など対外的な原因が主で、明治18年(1885)は、長濱八幡宮の火災で、明治42年から3年間は、町内の電話線架設といった内的な原因で休祭しました。休祭で、狂言や曳山巡行を行わない場合も、各山組は参拝を実施していることが資料から窺えます。
 現存資料からわかることは、疫病による休祭はこれまでに無く、明治12年(1879)に唯一コレラにより祭を11月に延期しています。昨年の休祭は、昭和24年(1949)以来71年ぶりの出来事でした。
 
 
長濱八幡宮御神事芸題記録写 紙本墨書 明治5年(1872) 当館蔵

 長浜曳山祭の子ども歌舞伎の外題(げだい)を江戸時代から記録した『外題帳』と呼ばれる資料の一つ。外題とは、歌舞伎の演目の内容を5~8文字で示したもの。元治元年(1864)の記録には、「當七月京都御一乱ニ付休祭」とあり、この年に長州藩が御所付近で挙兵した禁門の変により祭が休止したことがわかる。ちなみにこの頃は9月に祭礼を行っていた。その後、翌年に起こった長州征伐や、慶応2年(1866)の14代将軍・徳川家茂の死去を理由に休祭となっている。慶応3年は、10月に大政奉還、12月に王政復古の大号令が出され、時代は江戸から明治へと移っていくが、この年の理由は「何となく休祭」と書かれている。
 
曳山を飾る絵画を描いた絵師たち   
長浜曳山祭の見どころの一つが、曳山を彩る貴重な装飾品の数々です。その一つに舞台や楽屋に添え付けられた絵画作品があります。こうした作品は、江戸時代後期から明治時代に活躍した地元の絵師の手によるものが多く、江戸時代後期における長浜を代表する絵師である山縣岐鳳(やまがた ぎほう・1776-1847)は、高砂山と鳳凰山の舞台障子腰襖、孔雀山の楽屋襖と絵師の中でも最も多い4点の作品を曳山に残しています。また、岐鳳に絵を学んだ、浅井郡下八木村(長浜市下八木町)出身の八木奇峰(やぎ きほう・1804-76)や長浜呉服町(長浜市元浜町)の河路光応(かわじ みつまさ・1816-71)も曳山に絵を残しています。他にも、常磐山や翁山の舞台障子腰襖をそれぞれ描いた横山清輝(1792-1864)や長谷川玉峰(ぎょくほう・1822-79)など、当時の京都で活躍した絵師たちも筆を寄せており、素晴らしい作品で曳山を彩った長浜町衆の美的感覚の高さがうかがえます。
 
 
芭蕉蘇鉄図 山縣岐鳳筆 紙本墨画 文化2年(1805) 当館蔵
 曳山に絵を残した絵師としては最多を数え、その弟子も各地で活躍した江戸時代における長浜の巨匠・山縣岐鳳が描いた芭蕉と蘇鉄である。墨の濃淡により芭蕉や蘇鉄の葉を描き分けるなど、岐鳳の表現の巧みさが表れており、水墨でありながら、芭蕉と蘇鉄の葉の瑞々しい緑色が眼前に浮かぶようである。花鳥画や山水画、仏画と幅広い画業が知られる岐鳳であるが、芭蕉と蘇鉄にフォーカスを当てた異色の作といえる。

 
 
花鳥図図巻 八木奇峰筆 紙本著色 江戸時代(後期) 当館蔵
 曳山・孔雀山の楽屋襖を描いた八木奇峰は、下八木村に生まれ、江戸時代の長浜を代表する絵師である山縣岐鳳の下で絵を学んだ。後に、京都画壇の重鎮であった松村景文(1779-1843)に弟子入りし、京都御所の襖絵を手掛けるなど、その名を全国に馳せた。本作は、明るい色彩で生き生きと様々な鳥や草花が描かれている。
 
 
 仙人に鳥、龍図屏風 中谷求馬筆 紙本墨画 文政9年(1826) 個人蔵

 壽山楽屋襖の『雲龍図』を描いた中谷求馬(もとめ・1748-1832)が描いた仙人や鳥、龍を描いた6曲の屏風である。求馬は、坂田郡今村(長浜市今町)出身の絵師で白雲洞と号した。画中の墨書から78歳、晩年の作であることがわかる。注目されるのは、画面上方に書かれた賛である。牛と老子を描く第4扇には、儒者で多くの文人墨客と交友のあった頼山陽(らいさんよう・1781-1832)が賛を寄せ、第3扇には、同じく儒者である塩田随斎(ずいさい・1798-1845)、第2扇は、画僧として知られた霞山(かざん・1788-1872)第6扇は、詩書画に通じた東本願寺の僧・雲華(1773-1850)など、江戸時代後期に活躍し頼山陽と交友のあった人物が着賛している。求馬が生まれた今村に所在する岩隆寺には、頼山陽と求馬との交流を窺わせる資料が伝わっており、2人の交流を裏付ける作品である。
 
 
山水図 杉沢春厓筆 紙本墨画 明治20年(1887) 当館蔵

 坂田郡下之郷東町(長浜市下之郷東町)出身で、壽山の舞台障子腰襖『柘榴小禽図』を描いた杉沢春厓(しゅんがい・1829-?)の手による山水を描いた襖絵。春厓は、明治5年(1872)以降、長浜町に移住しており、画中の賛から、長浜町時代に描いた作品であることがわかる。安定した構図で、壮大な景色を見事に描き出しており、多様な画業が知られる春厓が描いた山水図の代表作といえよう。
 
 
 
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