幕末維新の激動は、彦根藩井伊家の領地であった湖北長浜をも直撃しました。彦根藩は藩主井伊直弼が桜田門外の変で暗殺された事件の後、それまでの直弼の政治手法などが咎められ、10万石の減封処分を受けてしまいます。それは彦根藩の全領地のおよそ3分の1にあたる大規模な削減で、彦根藩にとっては大打撃でした。そして、長らく彦根藩であったものが幕府に返納される対象となった村々では、お殿様が変わるという事で、少なからず混乱があったのです。その後も、尊皇攘夷運動などで国内が乱れる中、彦根藩は翻弄され、結局、彦根藩は倒幕へと動いてゆくこととなるのです。そして彦根藩は、明治維新までその命脈を守り通します。
しかし、時代の移り変わりと共に彦根藩士はその禄を失い、多くの武士たちが路頭に迷うこととなってしまいました。特に江戸藩邸詰めの武士たちは深刻で、ほとんどの者が江戸の生まれであり、彦根に戻っても縁故はなく、たちまち暮らしに困る者たちが出はじめたのです。その窮状を救ったのが浅見又蔵(1839―1900)でした。
浅見又蔵は、長浜の地場産業である縮緬の製造から身をおこした人物で、長浜の町役をはじめ重職を歴任し、長浜町長にも就任するなど、明治時代の長浜の政財界をリードする一方で、鉄道の敷設や湖上交通の整備など長浜の近代化に尽力し、明治20年(1887)には慶雲館と呼ばれる和風建築の豪壮な迎賓施設を建設するなど、長浜の文化の発展にも大きく寄与した人物です。
又蔵は、資金を出して長浜の米川沿いの一箇町を開発し、ここに長屋を建設して多くの旧彦根藩士の暮らしを救ったといいます。その長屋は「御維新長屋」と呼ばれ、現在もその一部が家屋として残っています。
この御維新長屋については、『長浜市史』の第7巻「地域文化財」の172ページから173ページに記載されていますので、ぜひご参照下さい。
▲かつて彦根藩の旧臣が
暮らしたという御維新長屋
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