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▲姉川より取水する郷里五川の図(「長浜市史」第7巻より) |
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長浜市の東部、国道365号線と通称馬車道とが合流するあたりは、ちょうど横山の稜線が龍ヶ鼻と呼ばれるあたりで姉川まで迫り、やや狭い道となっていますが、この付近から、姉川の流れを取水して長浜の北郷里から南郷里あたりまでの田を潤す五つの井川、通称「郷里五川」が発しています。五つの川にはそれぞれ北から順に「岡井川」「中井川」「豆井川」「春近川」「堀部川」の呼称がありますが、この五つの井川に引水するために姉川に設けられた横井(郷里井)には、古い歴史とこれにまつわる経緯があります。
この横井が設けられたのは、明徳元年(1390)のことであると記録には残されています。地元に伝わる古文書によれば、室町時代、地域の水利権をめぐって争いがあり、現在の東上坂町付近に居館を構えていたという土豪大野木土佐守が、姉川を挟んだ対岸の浅井郡三田村の土豪三田村佐右衛門と合戦におよび、大野木土佐守が勝ちを収めてこの横井を建設する権益を得たと記されています。
横井からの用水を利用する村は、江戸時代には東上坂・西上坂・堀部・春近・垣籠・保多の上之郷六カ村を中心に、加納・榎木・北小足(現在の新栄町の東部)・小屋(現石田町)・石田・七条・八条・今川・南小足の末之郷九カ村の合計15カ村で、その受益石高は合わせて一万千三百八十三石にものぼりました。そして、井水の配分や水路の管理については、上之郷六カ村の間で詳細な取り決めがなされたのです。
この横井については、渇水時の五つの川への水の配分方法も細かく定められていました。それは「番水(ばんすい)」と呼ばれ、およそ一時間交替で引水する小番水と、昼夜交替でする大番水とがありました。このうち小番水については、底に孔をあけた一斗樽を用水路の分岐点に置き、樽二杯分の水が漏れ出る時間(これがちょうど1時間であった)によって交互に取水するという「樽番(たるばん)」と呼ばれる作法がとられました。現在ではこうした作法をしなくてもすむようになりましたが、交互に取水をした場所付近の交差点はつい最近まで「樽番」と呼ばれ、今は樽番についてのモニュメントが建てられて往時をしのばせています。
水をめぐる周辺の景観は時代と共に移り変わりましたが、郷里五川については、今も地元の人々によって大切に管理されており、毎年春先には、郷里五川にかかわる集落の人々が集って流路を整備する川普請が行われています。
横井(郷里井)開発をめぐる土豪の合戦については、『長浜市史』第3巻「町人の時代」のP447からP450までをご参照ください。また、郷里井と樽番については、『長浜市史』第7巻「地域文化財」のP378からP382に書かれています。そして、郷里井の川普請に関しては『長浜市史』第6巻「祭りと行事」のP408からP411に詳述されていますので、合わせてご参照ください。
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▲大野木土佐守墓所(東上坂町) |
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▲樽番のモニュメント(東上坂町) |
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