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▲姉川地震で被災した曽根村(現・長浜市曽根町)の様子 |
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明治42年(1909)8月14日午後3時31分頃、姉川流域を中心とした地域にマグニチュード6.8の巨大な地震が発生しました。この地震による被害は、岐阜県の西部と、滋賀県の伊香郡から犬上郡にかけての広範囲にわたり、死者35人、負傷者643人、全半壊した家屋は3300戸を超え、湖北一円には特に甚大なる被害が及びました。
この地震を受けて、各地から様々な救援の手が差し伸べられました。坂田郡の青年団37団体2171名は手弁当で被災者救助に急行し、長浜病院の医師や開業医らによる救護活動や日本赤十字社病院救護班の被災地への出張、妙法寺住職児玉禅戒らによる負傷者への慰問などが行われ、また、明治天皇も北条侍従に現地の視察を命じて下賜金1,500円の救恤補助を伝達しました。湖北の人々は、未曾有の災害に対して果敢に立ち向かい、助け合いながら復興を果たしていったのです。
今年、2009年はこの姉川地震が発生してからちょうど百年目にあたります。当時の被災の状況は次第に忘れられつつありますが、それでも湖北の人々の間では、明治24年(1891)に起こった濃尾地震の被害と共に、長く語り継がれてきた震災の記憶です。
姉川地震に関しては『長浜市史』第1巻「湖北の古代」の41ページから42ページにかけてと、『長浜市史』第4巻「市民の台頭」の137ページから139ページに詳細に記載されていますので、併せてご参照ください。
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▲姉川地震により倒壊した琵琶倉庫(現・長浜市北船町) |
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