企画展
「探検!むかしのくらし」
      
会 期:令和6年110日(水)~218日(日)
  休館日:月曜日、2月13日(火)    
     
 私たちの身のまわりには様々な道具があります。
これらの道具は、より使いやすく、暮らしを便利にするために改良が加えられてきました。
本展では、かま、洗濯板、電気洗濯機、電気炊飯器など家事に関わる道具や白黒テレビ、ダイヤル式電話など生活を豊かにした道具などを展示し、ガスや水道が普及する前の昭和初期と、電化製品などが家庭に入り始めた昭和30年代を中心に昭和時代の暮らしの移り変わりを振り返ります。
 
 

〇電化された生活用品
 昭和時代の台所。その中心となるカマドは、昭和30年(1955)頃、電気釜に変わりました。古代から炉やカマドを設置し、薪をくべて調理していた台所の歴史が、電気を使った道具に変わったのです。家のなかで用いる炎は、ガス器具として使い続けられていますが、薪などの燃料を使うことは一般家庭では皆無になってきました。
 同じく昭和30年頃、テレビ、洗濯機、冷蔵庫という電化製品が「三種の神器」として登場し、普及していきました。テレビは家庭内での娯楽を一変、洗濯機は洗濯板による重労働からの解放、そして電気冷蔵庫は、食生活や買い物の仕方を変えていきました。電気冷蔵庫により、冷して食する、飲むという食生活が可能になりました。また、肉、魚など冷蔵保管が必要な食材の買い置きが可能となり、買い物のスタイルも変えていきました。
 家に帰れば飲み物が冷えている、製氷器で作った氷を浮かべればアイスドリンクができあがるといったことが日常化していきました。

白黒テレビ・電気洗濯機・電気炊飯器・電気ポット他
 
 〇昭和のかわいいモノ
 今や世界に広がった日本の“kawaii”。
この日本独特の「かわいい」文化は昭和30年代に大きく花開きました。その原点と中心は少女雑誌やその周辺でしたが、少女や幼い子どもに身近な雑誌、服飾、おもちゃにとどまらず、「かわいい」は食卓の上、引き出しの中、部屋の片隅など、日々の暮らしのいたるところに溢れていきました。
 昭和時代の「かわいい」をいろいろな角度から振り返っていきます。現在の日本の「かわいい」文化のルーツである昭和時代の「かわいい」から自分だけのお気に入りの「かわいい」を見つけてください。

ダッコちゃん人形・リカちゃんハウス・昭和柄湯呑他
 〇遊びの思い出
 戦後の昭和20年代(1945~54)の夏休み。昼食後は、近くの川へ一目散、草野川や姉川、田川などでは7月半ばから9月頃まで泳ぎました。水浴びしているとアユが足にまとわりついたり、ドジョウもたくさんいてザルでドジョウすくいもしました。今では考えられないことです。
 山では、家事に必要な燃料としてのたきぎとり、木の葉かき。これが休みの日課でした。秋の味覚まつたけやしめじは昭和30年代、面白いほどよくとれるものでした。イバナシやわらびなど、山は味覚の宝庫でした。
 同じころ、日曜日や長い夏休みなどは広い神社境内でも遊びました。午前中は宿題、午後は境内に集まります。多かった遊びは、ゴムボール、竹(木)バットによる草野球。いつも境内には歓声があがっていました。

野球道具・ビニールプラモデル・めんこ・羽子板・ゲーム機他
 〇ecoな道具
 ecoなくらしを代表するのが、着物。着物は反物を直線に裁ち切って構成されています。そのため、端切れはほとんど出ず、縫い目も直線のため仕立て直しも容易でした。着付け方によって丈の調整ができ、身長が伸びたら解いて仕立て直すことで、体型が変わっても1枚の布で衣類をまかなうことができました。食にかかわる道具では、「徳利」。以前は徳利を持ってお店に行き、必要な分だけを買う「量り売り」が一般的でした。頑丈な陶器でできているため、何度でも使うことができました。今ではビンや紙パックが使われるようになりました。沸いたお湯を長時間保温することができる「魔法瓶」もecoな道具として重宝されました。生活の中心がガスから電気に移り変わる頃には、「電気ポット」が登場し、コンセントに差し込めば、どこでもお湯が沸かせるようになりましたが、保温はできないので、魔法瓶に入れて保温しました。今では、スイッチ一つでお湯が沸き保温しておくことのできる電気ポットや電気ケトルがあります。

徳利・魔法瓶・昭和の着物他

 
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