豊臣秀吉の肖像画は、その死の前後(慶長3年[1598]8月18日)から豊臣氏滅亡まで、約17年間に数多く制作された。特に慶長4年4月17日に「豊国大明神」の神号宣下を受け、各地に豊国神社が分祀されるとその御神体として描かれるようになる。江戸時代になってからも、追善供養のために引き続いて制作されている。本像は明治8年(1875)に京都画壇の重鎮で四条派の画家・塩川文麟(1807〜1877)が描いたもの。唐冠を被り、赤地に金糸で雲龍の刺繍がある官服布袴を着用し石帯を着けている。右手に笏、左腰に衛府太刀を佩いて曲禄に右を向いて坐す。秀吉の容貌は、団栗眼で頬が痩け皺が深く、ちょうど「禿鼠」という印象に近い。背後に秀吉の馬印として、江戸時代の人に認識されていた、象徴的な千生瓢箪の馬印を立てている。本像は、江戸時代からの秀吉信仰に基づいて描かれたものと推測され、近世の人々が秀吉をどのように祀り、思慕していたかが伺える貴重な資料である。
【明治8年(1875) 縦109.8cm×横41.3cm】
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