長篠合戦は、天正3年(1575)5月21日、織田信長・徳川家康連合軍が、武田勝頼の軍勢を三河国設楽郡設楽原(愛知県新城市)で破った合戦である。
長篠合戦を描いた屏風絵は、比較的多く6例が現存する。ほとんどの屏風絵が、小瀬甫庵の『信長記』と『甲陽軍鑑』を素材として描かれたという成瀬家本の系統に属している。
画面中央に大きく主戦場の設楽原が描かれ、連子川を挟んで右方(東)に武田軍、左方に織田・徳川連合軍を配置し、画面右端には長篠城・鳶ノ巣砦の攻防戦を描いている。
この合戦を決定づけた織田・徳川連合軍の鉄砲隊と武田軍騎馬武者の突進を防ぐための馬防柵、さらに鉄砲によって次々倒れていく武田軍最前線の描写が、この屏風の中心的テーマといえる。長篠合戦において、いかに鉄砲隊の出現が画期的であったかを知ることができる。
【江戸時代(後期) 縦195.5cm×横363.0cm】 |