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    長浜市の概況

    • [公開日:2016年11月9日]
    • [更新日:2022年9月2日]
    • ID:1835

    長浜市は、滋賀県の東北部に位置し、北は福井県、東は岐阜県に接しています。周囲は伊吹山系の山々と、ラムサール条約の登録湿地でもある琵琶湖に面しており、中央には琵琶湖に注ぐ姉川や高時川、余呉川等により形成された豊かな湖北平野と水鳥が集う湖岸風景が広がり、県内でも優れた自然景観を有しています。
    また、北國街道やこの街道と中山道を結ぶ最短経路であった北國脇往還沿道や、戦国時代を偲ばせる長浜城や小谷城跡、賤ヶ岳、姉川古戦場をはじめ、竹生島の宝厳寺、渡岸寺の国宝十一面観音をはじめとする数多くの観音が祀られる観音の里など、すぐれた歴史的遺産を有しています。
    この地域は、京阪神や中京、北陸の経済圏域の結節点としての位置にあり、京都市や名古屋市からはおおよそ60キロメートル圏域、大阪市からはおおよそ100キロメートル圏域にあり、JR北陸本線・湖西線や北陸自動車道を主な広域交通軸として、これらの経済圏域と利便性高く結びついています。さらに、平成18年10月にJR北陸本線・湖西線が直流化されたことにより、「琵琶湖環状線」として京阪神圏はもとより、北陸圏域への交通利便性が今後ますます高まるものと考えられます。

    基本データ

    面積

    • 681.02平方キロメートル ※琵琶湖を含む

    可住地面積

    • 165.76平方キロメートル(総面積のうち約30.7%)

    人口(令和2年国勢調査)

    • 113.636人

    世帯数(令和2年国勢調査)

    • 42,570世帯

    長浜市の沿革

    長浜市は平成22年(2010)1月1日、旧長浜市、東浅井郡虎姫町、東浅井郡湖北町、伊香郡高月町、伊香郡木之本町、伊香郡余呉町、伊香郡西浅井町の1市6町が合併して誕生いたしました。

    長浜市の沿革

    長浜市は、天正年間に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が「今浜」を長浜に改名し、小谷城下などの商人たちを集めて、楽市である城下町を作ったのが、現在の長浜の基礎となっています。昭和18年に長浜町・六荘村・西黒田村・神照村・南郷里村・北郷里村・神田村の1町6村が合併して市制が敷かれ、平成18年に長浜市、浅井町、びわ町の1市2町が合併し、現在に至っています。

    虎姫町の沿革

    虎姫町は、姉川、高時川、田川などの豊かな水に恵まれ、太古から人々が住みつき、田畑や集落が開かれた地域です。昭和15年に虎姫村が町制を施行し、現在に至っています。”虎姫”という地名は、町域内の北部に位置する歴史と伝説の山「虎御前山」にちなんで付けられました。

    湖北町の沿革

    湖北町は、古くは縄文時代からひとが住みつき、幾多の文化を育んできた歴史のあるまちです。特に、浅井亮政が築城した小谷城は、久政を経て長政が信長に敗れるまで三世50年間の根拠地となりました。昭和30年小谷村、速水村が合併し湖北町となり、翌31年湖北町と朝日村が合併し、現在に至っています。

    高月町の沿革

    高月町は、昭和29年に北冨永村、南富永村、古保利村の3か村が合併して町制が敷かれ、翌30年には七郷村と、翌31年には高時村(昭和29年に木之本町と合併)の大字高野とそれぞれ合併し、現在に至っています。町名の由来は、公募の結果、国鉄(当時)の駅名であり平易な文字でもある「高月」が採用されました。

    木之本町の沿革

    木之本町は、伊香具神社を中心に上古淡海国の先進地であり、大陸と都を結ぶ要衝地として発達し、木之本地蔵院の門前町として、また北國街道・北國脇往還の宿場町としてにぎわい、横山岳信仰、己高山山岳仏教などどともに多彩な歴史と文化を醸成してきました。大正7年に木之本村が町制に移行し、昭和29年に伊香具村、高時村、杉野村の1町3村が合併し現在に至っています。

    余呉町の沿革

    余呉町は、古墳時代から開かれ奈良時代から平安時代にかけて余呉郷・丹生郷・片岡郷の3つを総称して余呉の庄として統治していたのが始まりです。昭和29年に余呉村、丹生村、片岡村が合併して余呉村となり、昭和46年には町制が敷かれ現在に至っています。

    西浅井町の沿革

    西浅井町は、近世から近代にかけて、京都・大阪と北陸各地を結ぶ、琵琶湖湖上交通の主役であった丸子船によって、物流の要衝として栄えました。昭和30年に永原村と塩津村とが合併し、西浅井村となり、昭和46年に町制に移行し、現在に至っています。