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    平成26年1月1日号

    • [公開日:2014年2月25日]
    • [更新日:2024年1月5日]
    • ID:249

    長浜市指定文化財 有形文化財(歴史資料)反射望遠鏡 1基

    • 指定年月日:平成25年3月27日
    • 所有者:長浜市
    反射望遠鏡(長浜市(長浜城歴史博物館)蔵)の写真

    反射望遠鏡 長浜市(長浜城歴史博物館)蔵

    国友一貫斎像

    国友一貫斎像 国友一貫斎家蔵「夢鷹図」より

    江戸時代の鉄砲鍛冶として知られる国友一貫斎(1778~1840)が、天保7年(1836)に製作したのがグレゴリー式反射望遠鏡です。一貫斎は江戸に滞在していた文政3年(1820)に、尾張国犬山藩主である成瀬正壽(なるせまさなが)宅で、西洋から入った反射望遠鏡を見て以来、同じ形の望遠鏡製作を夢見ていたと考えられます。
    彼は江戸滞在中に、日本で最初の空気銃となる「気砲(きほう)」を製作しますが、文政4年(1821)に 故郷の国友村に帰った後も、鋼製弩弓(どきゅう)・神鏡・懐中筆(かいちゅうひつ)・玉燈(ぎょくとう)など多くの発明考案品を世に送り出しました。その中で、最後に製作したのが反射望遠鏡です。天保3年(1832)から作り始め、翌年には一号機を完成させ、月や木星などの天体観測を行っています。この望遠鏡は、日本で製作された最初の反射望遠鏡となりました。その後、機器の改良を加え天保6年(1835)正月六日から翌年2月8日まで、一年余りに及ぶ太陽黒点の連続観測も行っています。この黒点の移動と数の変化を記入した観測も、日本人初の快挙でした。
    一貫斎の望遠鏡の性能は高く、幕府天文方の足立信頭(のぶあきら)や、大坂の天文学者として知られる間重新(はざましげよし)は、西洋輸入の望遠鏡より性能が優れていると記録に残しています。また、市指定文化財「国友一貫斎文書」の中には、この望遠鏡の製作過程を示す記録があり、あわせて太陽や月・惑星の観測データを記した天体観測図が残っていることも、この望遠鏡の文化財としての価値を一層高めていると言えるでしょう。
    一貫斎が製作した反射望遠鏡は、ここで紹介した市蔵のものを含めて、現在四基の存在が確認されています。この反射望遠鏡は、長浜が生んだ近世日本を代表する科学技術者・一貫斎の業績を、広くまた将来にわたって伝えるための貴重な文化財と言えるでしょう。

    (『広報ながはま』平成26年1月1日号より)

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