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中世

秀吉時代から江戸時代の湖北

羽柴秀吉は10年間にわたって湖北を統治したが、長浜城主としてどのような仕事をしたのだろうか。また、秀吉が去った後の長浜城には、どういう城主が入ったのだろうか。戦国時代から江戸時代への流れをたどってみよう。


内藤信成像 長浜市長浜城歴史博物館蔵

長浜城主となった羽柴秀吉

天正元年(1573)に浅井氏滅亡後に湖北を支配したのは、羽柴秀吉であった。信長の浅井氏攻めの先兵となって、横山城や虎御前山城を守り活躍した秀吉は、その功績によって浅井氏領国の大部分を与えられ小谷城に入った。 しかし翌年には、湖岸の今浜(長浜市公園町)に築城を開始し、城下町を造成して、天正10年(1582)まで居城した。

秀吉以降の長浜城主

その後、城主は柴田勝豊・山内一豊と変わり、天正19年(1591)からは佐和山城主・石田三成の支配下に入った。 関ヶ原合戦以降の慶長11年(1606)には、徳川家康の異母弟・内藤信成が大坂城包囲網の拠点として長浜城主となり、同17年にはその子信成が跡を継ぐが、大坂夏の陣で豊臣氏が滅ぶと、元和元年(1615)摂津高槻城へ移封され、 湖北支配の役割は彦根城主・井伊家に譲られた。

長浜の城と城下町、「近江衆」

秀吉の造成した長浜城と城下町について、その構造とそれ以降に造成された秀吉の城や近世城下町と比べてみよう。 秀吉の家臣には、北近江出身者が多く「近江衆」と呼ばれた。石田三成、小堀正次、田中吉政、片桐且元、脇坂安治らの「近江衆」について調べてみよう。

資料

別紙「長浜城推定復元図」、「長浜城下町成立構成図」

教科書との関連

  • 中学社会「歴史的分野」(日本文教出版)106頁《第4編「近世の日本」 ①中世から近世へ 4天下統一と近世社会の基礎づくり》

参考文献

  • 長浜市『長浜市史』2 秀吉の登場(1998年)

図版・写真

内藤信成像 長浜市長浜城歴史博物館蔵

長浜築城と町づくり

長浜城下町成立構成図

長浜城推定復元図

長浜城推定復元図