伝統産業
浜ちりめん
長浜を代表する伝統産業「浜縮緬」。どんな歴史があるのだろうか。
浜ちりめんは江戸時代に創り出され、現在でも長浜の地場産業として有名な、表面に細かい「しぼ」のある絹織物です。
横糸に強く撚りをかけた生糸を用いて織った布を、ソーダを混ぜた石けん液で煮沸して縮ませ、
精錬してつくられます。
江戸時代後期、相撲(すまい)町の成田思斎は養蚕を湖北に広め、
浜ちりめん生産の展開に大きな影響を及ぼしました。
資料の絵は彼の著した「蚕飼絹篩」にあるもので、
当時の養蚕やちりめん生産の様子をみてとることができます。
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浜ちりめんの製造は、江戸時代中期(1752年)に難波町の中村林助・
乾庄九郎により始められ、京に数多く売り出されました。このために起こった京の西陣の業者との対立を解決するため、
彦根藩は浜ちりめんを年貢として納めさせ販売しました。
この後浜ちりめんは彦根藩の保護、専売のもとに発展していきます。
品質を守り、販売を管理するため株仲間も組織されました。
また、1857年の資料に長浜の建物の中に3軒の「織場」が記録されており、
浜ちりめんの生産が問屋制家内工業から
工場制手工業へと発展している様子が見られます。
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明治以降も長浜は、浜ちりめんなどの繊維工業を基盤として発展していきました。
明治初期の実業家である浅見又蔵は、ニューヨークへの浜ちりめんの輸出を開始しました。
浅見又蔵は、ちりめん産業の発展だけでなく、県下最初の学校や銀行の創設、
鉄道連絡汽船の就航
【→江戸時代の交通】などを行い、長浜の近代化に尽力した人物の一人です。
明治~大正期にはちりめん産業も工場制機械工業の段階へと発展し、長浜でも産業革命がおこりました。
明治20(1887)年に設立された近江製糸株式会社の工場が、長浜で最初の近代的な工場です。
その後、明治45(1911)年には大塚縮緬工場、昭和5(1930)年には鐘淵紡績
長浜工場が設立されました。
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