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中世

姉川合戦の経過

長浜市内には、戦国時代に繰り広げられた合戦の跡が数多く存在する。戦国時代は、数多くの武将が領国を守るために戦った。 姉川合戦も戦国時代に行われた合戦の名前である。なぜ姉川合戦は、起こったのだろうか。また、誰が戦ったのだろうか。

湖北の支配者「浅井三代」

京極氏が湖北を支配していたが、内紛や家臣との抗争が絶えなかった。戦国時代の中頃になると京極氏の家臣の中から勢力を強める者が出てくる。 その人物が浅井亮政で、後の浅井三代の基礎を築く。浅井亮政は、小谷城を本拠地として戦国大名となっていった。
浅井亮政の子である浅井久政は天文11年(1542)に家督を相続した。浅井亮政の時代は、近江の南を支配していた六角氏と対立していたが、浅井久政は六角氏と融和路線をとっていく。しかし、浅井久政の息子浅井長政は違った。
浅井長政の家督相続は、浅井久政の六角氏寄りを批判し浅井長政を当主に担ぐ家臣団の台当によって引き起こされていく。当主となった浅井長政の時代に歴史に名高い「姉川合戦」が引き起こされるのである。

姉川合戦前夜

度々の上洛命令を無視している越前の戦国大名朝倉義景を討つために、元亀元年(1570)4月20日、織田信長は3万の兵を率いて京都を出発した。 4月25日には越前敦賀まで進軍し、手筒山城・金ヶ崎城を落とし、朝倉氏の本拠地一乗谷に迫ろうとしていた。しかしその時、背後で浅井氏が謀反したと聞き信長は耳を疑った。 北に朝倉、南に浅井と挟み撃ちの状態になり命からがら京都に戻るのであった。
浅井長政は織田信長の妹のお市と結婚し、同盟を結んでいた。織田信長は浅井家を家臣団の内の一人とみていたが、浅井長政は大名でありながら織田信長の家臣として扱われるのが許せなかったのであろう。 そして謀反へと繋がっていった。

姉川合戦


空から見た姉川古戦場

織田信長が京都にたどり着いたのは4月30日の深夜。織田信長は、兵を立て直し岐阜で兵力を調え6月19日に湖北に侵攻する。 標的は浅井長政になったのだ。湖北へ侵攻するにあたって、近江と美濃の国境の砦、長比城を最初に攻略し、浅井氏の居城小谷城を攻めた。 しかし堅固な小谷城を一気に攻めるのは無理と判断し、全軍を退かせ6月24日に横山城(長浜市と米原市の境)を包囲し、信長は横山城が立地する横山丘陵先端の龍ヶ鼻に陣を敷いた。
浅井長政は、家来の三田村氏達が守る横山城を救援するべく5千人の軍と越前から来援に来た朝倉景健軍8千人で一時大依山(長浜市大依町)に拠った。そして28日未明には姉川北岸の野村・三田村に移動した。 織田信長もこれに対応し、東上坂集落東「陣杭の柳」付近に陣を張り、織田方として参戦していた徳川家康は付近の岡山に陣を張った。両者は姉川を挟んで対峙し、浅井軍の正面に信長軍、朝倉軍の正面に徳川軍が布陣する形となった。
合戦は28日未明に徳川軍と朝倉軍の間で始り、朝倉側が当初優勢であったが徳川方の武将榊原康政らが側面から朝倉軍を突き形勢が逆転したという。 浅井軍と信長軍の間でも戦闘が行われ、浅井方の磯野員昌が信長軍の陣深くまで攻め入ったが、横山城の監視にあたっていた西美濃三人衆が浅井軍の側面を攻め浅井軍は不利になり、浅井・朝倉軍は小谷城のある北へ退いていく。
信長軍は、両軍を追って小谷城下を放火したが城攻めは避け、横山城を木下秀吉(後の豊臣秀吉)に守らせ、7月6日には織田信長は京都に帰る。これが世に名高い「姉川合戦」の経過である。

ほろびゆく浅井氏

姉川合戦後、比叡山を舞台に繰り広げられた志賀の陣、元亀2年(1571)に坂田郡南部であった箕浦表の合戦、元亀3年(1572)には信長が北近江に出陣するなど、幾度となく浅井氏は信長軍と戦うのである。
しかし、織田方は虎御前山に城を築き、浅井氏への締め付けをきつくする。天正元年(1573)には小谷城周辺の諸城が織田方に降伏・陥落し、越前の朝倉氏も織田信長に攻められ自害する。 孤立無援の状況となった浅井氏に信長軍は最後の攻撃をかけ8月29日に浅井久政、9月1日に浅井長政が小谷城内において自刃し、三代続いた浅井氏の歴史は幕を閉じるのである。

資料

別紙「姉川古戦場位置図」

教科書との関連

  • 中学社会「歴史的分野」(日本文教出版)81頁《第3編「中世の日本」 ③室町幕府と下剋上 4立ち上がる民衆と戦国大名》
  • 103頁《第4編「近世の日本」 ①中世から近世へ 3ヨーロッパ人の来航と信長》

参考文献

  • 市立長浜城歴史博物館『常設展示―湖北・長浜のあゆみ―』(1988年)
  • 太田浩司『浅井長政と姉川合戦―その繁栄と滅亡への軌跡―』(サンライズ出版 2011年)

写真:空から見た姉川古戦場

(姉川古戦場位置図)