長浜市史
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vol.17 糸の世紀・織りの文化シリーズ4「湖北の養蚕・その1」
西陣へ糸運ぶ図(成田思斎『養蚕絹篩』より) 繭を収穫する長浜農学校生
西陣へ糸運ぶ図(成田思斎『養蚕絹篩』より) 繭を収穫する長浜農学校生
 湖北長浜は、浜縮緬に代表される絹織物のマチとして近世中期からその名が知られるようになりましたが、縮緬業が湖北に隆盛する以前には、織物の原料となる糸の産地として位置付けられていました。
 長浜を集積地として主に京都に出荷された湖北産の糸は、「浜糸」と呼ばれて西陣など京都の織物産業を支えたのです。長浜の浜糸に関する歴史については、江戸時代初期にはその取引の様相をうかがわせる史料が散見されることから、近世期初頭には既に本格的な生産と流通の体制が整えられていたものと考えられます。
 ところで、湖北の養蚕業の最盛期は、近代化以降の明治後期におとずれることとなります。明治維新以降の新政府による富国強兵政策の推進によって、生糸は日本の主力輸出品目とされ、諸国の産地はその生産力を飛躍的に増進させていったのです。旧長浜市域における繭の収繭量のピークとされる明治43年(1910)の記録では、養蚕農家の戸数は4487戸で、繭の生産高は7526石とされています。ちなみにこの年の農家全体の戸数は3557戸であることから、農家ではない家庭でも養蚕業が営まれていた事がうかがい知れます。
 このような養蚕普及の背景には、養蚕業に関する教育の推進もその一因としてありました。滋賀県では、明治29年(1896)に滋賀県蚕糸業組合によって現長浜市平方町の徳勝寺を仮校舎に組合立簡易蚕業学校が創立され、近代的な養蚕技術の伝達が図られました。その後、同校は県立へと移管されて明治31年(1898)滋賀県簡易蚕業学校となり、翌年から県立の長浜農学校へと生まれ変わるのです。
 江戸時代の浜糸の京都への流通に関しては『長浜市史』第3巻「町人の時代」の200ページから202ページをご参照ください。また、長浜の養蚕教育と長浜農学校については『長浜市史』第4巻「市民の台頭」の46ページから50ページなどをご参照ください。
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vol.01 さくら道と柴田源七
vol.02 能面打ち井関家と七条町足柄神社の春祭
vol.03 永久寺町蛇組の蛇の舞と国友花火陣屋
vol.04 薬袋主計と潤徳安民碑 人びとの暮らしを救った彦根藩の武士
vol.05 長浜の紅葉の名所・後鳥羽神社
vol.06 郡上のあだ討ち 日本で最後となった武士の仇討ち
vol.07 御維新長屋とその後の彦根藩士
vol.08 豊国神社十日戎とえびす講 長浜町衆の秀吉信仰
vol.09 石田三成のふるさと長浜
vol.10 郷里五川と樽番 水の差配をめぐる歴史と民俗
vol.11 長浜の「石」のはなし二題 秀吉の愛した「虎石」と「名犬メタテカイ」の伝説
vol.12 姉川地震 百年前に湖北を襲った大震災
vol.13 小堀遠州と小室藩の盛衰
vol.14 糸の世紀・織りの文化シリーズ1「浜蚊帳」
vol.15 糸の世紀・織りの文化シリーズ2「浜縮緬・その1」
vol.16 糸の世紀・織りの文化シリーズ3「浜縮緬・その2」
vol.17 糸の世紀・織りの文化シリーズ4「湖北の養蚕・その1」
vol.18 糸の世紀・織りの文化シリーズ5「成田思斎の業績(湖北の養蚕・その2)」
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