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    一言主16 敦賀とのつながり

    • [公開日:2023年8月1日]
    • [更新日:2023年12月18日]
    • ID:13700

    ※広報ながはまに毎月掲載している市長コラム「一言主」です。

    敦賀とのつながり

     敦賀市と長浜市は、県こそ違いますが、古くからの結びつきが強い地域です。
    戦国時代、西軍の武将であった大谷吉継は、本市の出身であり、敦賀城主でした。そして、同じく西軍で本市出身の武将 石田三成とは、まさに刎頸の仲でした。
     江戸時代には、北前船という北海道と大阪を結ぶ商業船が運航されて、その寄港地の一つが敦賀でした。そして、敦賀で陸揚げされた物資は、陸路で、長浜市に到着し、琵琶湖を通って京都、大阪に運ばれました。
     明治17(1884)年には、当時はまだ珍しかった鉄道で、両市が結ばれ、東京から敦賀、そしてロシアへの海路を経て、ヨーロッパへとつながる人流ルートができました。このルートがのちにリトアニア領事代理 杉原千畝による、いわゆる「命のビザ」として、6千人ものユダヤ人難民を救いました。難民の方々の一部は、敦賀を経由して本市も訪れたものと想像しています。これらの鉄道遺構は、敦賀市、南越前町とともに日本遺産として文化庁に登録され、現在も2市1町協力して、観光誘客を進めています。
     また、敦賀市は、滋賀県の高等専門学校の誘致の際、隣接市として応援をいただきましたし、NHK大河ドラマ「石田三成」の実現に向けて、NHKに要望に赴く際には、熱いメッセージをいただきました。
     北部地域の皆さんのなかには、買い物、飲食、娯楽等のために敦賀市を訪問される方も少なくないでしょう。そのようなつながりのある敦賀市に、来年の春にはいよいよ北陸新幹線が延伸してきます。これを契機に国内外から多くのお客さんが敦賀を訪れると思います。これまで以上に敦賀市との関係性を強化し、観光面でも両市で賑わいを創出していきたいと思います。

    敦賀市長と市長室で

    ▲敦賀市長と市長室で