一言主29 とっておきの話
- [公開日:2024年11月15日]
- [更新日:2024年11月15日]
- ID:14948
※広報ながはまに毎月掲載している市長コラム「一言主」です。
「とっておきの話」
私は、子どもの頃、母親から湖北の歴史の話をいくつか聞き、「とっておきの話」になっています。
1 「赤い米」ができた
私の母は野村町(旧浅井町内)の生まれです。浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が戦った姉川の合戦(1570年)地のすぐ近くです。このあたりには、合戦時数多くの人が亡くなり、血が流れて田んぼに満ち、血を吸った稲が赤い米を作ったというのです。子どもには極めて衝撃的でした。その米は、恐ろしくて食べられなかっただろうなと思いました。
この話の真偽はもちろん不明ですが、野村町付近には「血川」「血原」という地名が残っており、根拠なしともいえない感じがしています。
2 「北負け」と言って褒美
高月町に「馬上」という字があります。豊臣秀吉公は、賤ケ岳の戦い(1583年)の際、有名な美濃大返しで、大垣から木之本まで驚異的な速度で軍勢を移動させました。その際、馬上付近で、「ここはどこだ」と聞いたところ、村人が南の馬上を意味する「南馬上」と言ったので、秀吉公が負ける「南負け」と聞いて大層立腹したといいます。その後北上し、同じように聞いたところ、村人が北の馬上を意味する「北馬上」と言ったので、柴田勝家公が負ける「北負け」と聞いて村人に褒美を取らせたとのこと。
これも真偽のほどはわかりませんが、伊香郡志をみると、地図に、今は存在しない「北馬上」という地名が載っていて、この話がまんざらでもないと思わせるところがあります。
3 歴史が育むシビックプライド
皆さんにも、「とっておきの話」があるのではないでしょうか。真偽のほどはいざ知らず、私たちの故郷は歴史が深く、そんな「とっておきの話」が沢山ありますので、それを次の世代にぜひ伝えていただきたいと思います。きっと、「シビックプライド」の醸成にもなると思います。

▲姉川古戦場跡石碑(三田町集落南西)
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