高月観音の里資料館
 令和8年度 展示スケジュール
 
 企画展  「高月別院」
   

 
 

 企画展
 
『雨森芳洲の詩文と和歌
 ~知を愛し、生涯を「学び」に捧げた国際人~』



  期 間:令和8年6月24日(水)~8月3日(月)
  ◆会期中休館日:火曜日・祝日の翌日
 
 
 
開催趣旨
 江戸時代中期、対馬藩に仕えた長浜市出身の儒学者・雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)(1668〜1755)は、日本と朝鮮との親善外交に深く尽力した屈指の国際人です。日本・朝鮮・中国の3か国語を自在に操り、「異なる文化に優劣はない」という、現代にも通じる先進的な国際感覚を備えていました。互いの文化を尊重し、まごころをもって交わる「誠信の交わり」を説いた彼の関係資料は、「朝鮮通信使に関する記録」として、2017年にユネスコ「世界の記憶」に登録されています。
 芳洲の知性の根底にあったのは、飽くことのない向学心です。幼少から漢詩に親しみ、日本や朝鮮の文人たちと高度な交流を重ねた彼は、晩年81歳にして日本の伝統文化である「和歌」の世界に挑みました。『古今和歌集』を千遍読み込み、2万首を詠み上げるという驚異的な研鑽(けんさん)は、生涯を通じて自己を更新し続けた「学びの先駆者」としての姿を物語っています。
 本展では、「雨森芳洲関係資料」(重要文化財・芳洲会所有)の中から、国際性を象徴する「詩文」や、晩年の情熱が結晶した「和歌」に焦点を当てます。世界を等しく見つめるフラットな視点と、衰えることのない探究心を持ち続けた芳洲の真の姿に迫ります。



主催:長浜市
協力:芳洲会
関連事業
■展示説明会
  
  日時令和8年7月11日(土)午後1時30分~
    場所:高月観音の里歴史民俗資料館 2階展示室
 展示資料
 
 雨森芳洲肖像
雨森芳洲肖像
雨森芳洲肖像、1幅
江戸時代中期、画者不詳
重要文化財・ユネスコ「世界の記憶」登録資料、芳洲会蔵

 唐服をまとい、袖に手を入れ胸前で拱手(きょうしゅ)し、儒巾(じゅきん)をかぶった晩年の姿。朝鮮通信使画員の作と伝えられている。芳洲存命中、通信使は4度来日している(5・44・52・81歳)ことから、延享5年(1748)第10次通信使、芳洲81歳のものであろうか。

橘窓茶話下巻
橘窓茶話 下巻
橘窓茶話(きっそうさわ)下巻、1冊
原著・延享4年(1747)、雨森芳洲著・松浦桂川筆
重要文化財、芳洲会蔵

 延享4年(1747)、芳洲80歳の時に完成した漢文随筆。芳洲の直筆本は現存しておらず、本書は外孫・松浦桂川(けいせん)[芳洲の次男・松浦龍岡(りゅうこう)の子]が書写したもの。下巻には、幼少期から学問に親しんできた芳洲が、9歳の時に作ったとされる漢詩も収められている。

たはれぐさ
たはれぐさ
たはれぐさ、3冊
原著・享保20年(1735)、寛政元年(1789)刊、雨森芳洲著
長浜市指定文化財、芳洲会蔵

 芳洲が68歳の時に完成した和文による随筆。第1条に「わが後なる人の、庭の訓えとも思えかしと、たく火に焼きもやらず、残し侍るなり」と、本書成立の動機は、子孫・子弟に対する遺教として執筆したことを表明している。跋文(ばつぶん)は同じ木下順庵(きのしたじゅんあん)(1621~98)門下の室鳩巣(むろきゅうそう)(1658~1734)による。古義堂文庫(天理大学図書館)には、芳洲が伊藤東涯(いとうとうがい)(1670~1736)に宛てた本書の校訂・批評を乞う書状が2通伝わっている。

 
日課詩(「義如君江故事申上扣」のうち)
日課詩(にっかし)、1冊(「義如君江故事申上扣」のうち)
元禄13年~15年(1700~1702)頃、雨森芳洲筆
重要文化財、芳洲会蔵

 『日課詩』と題する漢詩草稿。「寄呈縁長老」と題するものが含まれ、対馬以酊庵(いていあん)第41代輪番・別宗祖縁(べっしゅうそえん)の在任期間である元禄13年~15年(1700~1702)頃、芳洲30歳代前半頃のものとみられる。若き芳洲が本務の傍ら、詩作を日課としていたことを示す資料として注目される。

 芳洲詠草
芳洲詠草
芳洲詠草(ほうしゅうえいそう)、22冊のうち
寛延元年(1748)~宝暦4年(1754)、雨森芳洲筆
重要文化財、芳洲会蔵

 芳洲は晩年81歳の頃から和歌を学びはじめ、『古今和歌集(こきんわかしゅう)』の千遍(せんべん)読みと和歌一万首の詠草を志した。千遍読みは、寛延元年(1748)12月晦日にはじめ、読むペースは次第に速くなり、翌年8月28日に達成した。また一万首の詠草は、寛延元年8月23日に開始し、同3年8月22日にはすでに1万首に達し、さらにその後も亡くなる前年・87歳の時まで精力的に詠み続け、その作は2万首を数える。老境においても向学心の絶えることない最晩年の芳洲の姿が垣間見える。芳洲は、漢詩と和歌は表現こそ違え、そこに「優劣はない」と考えていた。第12巻に「詩は漢語の精華なるものなり、歌は和語の精華なるものなり」と記している。