高月観音の里資料館
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企画展「湖北の古代寺院を考える」


                   期間: 令和元年9月4日(水)-10月22日(火)

 開催趣旨
 滋賀県の東北部、湖北地方には観音像をはじめ、特色ある仏教文化財が数多く残されています。その背景には、湖北地方では早くから、地域豪族や渡来人たちにより仏教信仰がすすめられ、多数の古代寺院が存在していました。『扶桑略記』によれば、白鳳期には諸国(全国)に、545寺院あったとされますが、近年の軒丸瓦の出土と研究により600寺院を超えることが明らかとされています。このうち伊香郡には3寺院、坂田郡には8寺院、浅井郡には5寺院存在していたことが想定されています。
  通常では仏像を中心に紹介し湖北の仏教文化を解説するものですが、この企画展は、湖北地域から出土した瓦や塔・古銭など古代の寺院関係遺物や、古代仏教ゆかりの寺社や寺院遺跡の遺構(写真パネル)を通して、湖北の古代寺院を探ることを目的とします。 


主催:高月観音の里歴史民俗資料館
展示品:総数:25件52点
             
       
 おもな展示資料
 
(1)「華寺(はなでら)遺跡出土軒丸瓦
単弁八葉蓮華紋軒丸瓦」(長浜市高月町保延寺)

白鳳時代(7世紀後半頃)
縦12.3㎝×横12.5㎝×厚2.9㎝          
高月観音の里歴史民俗資料館蔵

 華寺廃寺(はなでらはいじ)(華寺遺跡)は高月町を代表する古代寺院で、これまでの発掘調査で多くの瓦が出土している。軒丸瓦は、寺院・郡衙(ぐんが・地方の役所)などの建物の先端部分を飾るもので、おもに蓮の花を表現した紋様を使用した。紋様は、木枠の笵型(はんかた)に粘土を押し付けて取り、整形して瓦の形にする。蓮華紋の中央が突出し十文字の凸線が入り、内面は、工人の手で撫でた痕跡がみられる。焼成(しょうせい)(瓦の焼き上がり)はやや軟質。華寺創建頃の瓦と考えられ、湖東式(ことうしき)の瓦である。湖東式とは、湖東北部地域(今の彦根市、東近江市)の瓦様式から派生した瓦のことである。
   
(2)「華寺遺跡出土線刻(せんこく)瓦 軒平瓦(のきひらがわら)」(長浜市高月町保延寺)

白鳳時代(7世紀後半頃)
縦18.1㎝×横7.5㎝×厚2.7㎝
長浜市蔵

 線刻瓦は、軒平瓦の内面部に側視蓮華紋(蓮の花を横から見て描いた紋様)をヘラにより表現したもの。蓮華紋は、古代エジプトから始まり、アレキサンダー大王の遠征によってインドへ伝わり、シルクロードを経由して中国、朝鮮、日本へと伝わった。仏教では、蓮が泥水から成長することから、清浄さの象徴とされる。
   
 (3)「八島廃寺出土軒平瓦 均整唐草紋軒平瓦 」 (長浜市八島町)

白鳳時代(7世紀末頃)
縦16.8㎝×横10.7㎝×厚3.8㎝
八雲コレクション(浅井歴史民俗資料館蔵)



  八島廃寺は、戦前に田中礎(いしずえ・号は八雲)氏の資料採集により存在が明らかとなった古代寺院である。瓦は唐草紋を表現した軒平瓦で、外面はナデ、内面は板状工具で整形する。白鳳時代の瓦とみられ、焼成(しょうせい)は良好。均整のとれた唐草紋は、大陸文化(西アジアの影響)を受けたものと考えられる。また、八島廃寺と救外(きゅうがい)廃寺(長浜市上野町)出土の瓦はよく似ており、何らかの交流があったものとみられる。
   
 (4)「磯廃寺出土鴟尾(いそはいじしゅつどしび) 百済様式」米原市磯(いそ)

白鳳時代(7世紀後半頃)
縦85.4㎝×横48.2㎝×厚1.7㎝
長浜城歴史博物館保管(個人蔵)


 鴟尾とは、古代宮殿や寺院仏殿の大棟(おおむね)の両端を飾る装飾。瓦質のもので、正段(しょうだん)と縦帯(じゅうたい)および胴の部分が残存する。全体的に灰白色を呈し、焼成は良好。この鴟尾は、形状から百済様式で2本の縦帯を有するものである。磯廃寺は、米原市を代表する古代寺院である。
   
(5)「華寺遺跡出土軒丸瓦 複弁六葉(ふくべんろくよう)蓮華紋軒丸瓦」(長浜市高月町保延寺)

奈良時代(8世紀後半頃)
縦18.8㎝×全長45.5㎝×厚2.6㎝
高月観音の里歴史民俗資料館蔵


 (1)の瓦とはつくりが違い、立体感が薄れて扁平に仕上げられている。焼成はやや軟質。華寺再建頃の瓦と考えられる。複弁蓮華紋の軒丸瓦は、7世紀後半頃に登場し、8世紀初頃に主流となる。
   
(6)「鴨田遺跡出土瓦塼(がせん)」 (長浜市大戌亥町)

奈良時代(8世紀頃)
縦11.1㎝×横10.2㎝×厚3.8㎝
八雲コレクション(浅井歴史民俗資料館蔵)


 瓦塼とは、瓦質(がしつ)のレンガのこと。郡衙や寺院の建物の床に敷かれたり、寺院の基壇(きだん)などにも使用された。この瓦塼は、直方体に面取りを行い、縦方向に櫛状工具による施文がみられる。焼成も良好で陶質化している。戦前の田中礎氏による採集品で、郡衙(ぐんが)・古代寺院に関わる遺跡が近隣に存在していたことが想定される。

 など
 
関連事業
■展示説明会
  
  日時:令和元年9月14日(土)午後1時30分から
    場所:高月観音の里歴史民俗資料館 2階展示室


■講演会「北近江の古代寺院」
     講 師:井口(いのくち) 喜晴(よしはる)氏(元大正大学教授)
     日 時:令和元年9月23日(祝・月) 午後1時30分~
     場 所:高月支所3階
     参加費:一般500円(観音の里歴史民俗資料館友の会会員は無料)
  
 

 
特別陳列「八木浜文殊院の密教美術」


                   期間: 令和元年6月19日(水)-8月19日(月)
 
 開催趣旨
 長浜市八木浜町は琵琶湖に面した集落で、八木浜港があります。慶応4年(1868)には、琵琶湖の増水により集落内の西照寺の上り段が3段ほど水没し、家2軒が波に取られたといいます。江戸時代後期には、湖水上昇による水害を軽減するため、県内の湖辺集落とともに「瀬田川(大津市)の川浚(かわさら)え」の請願活動を積極的に行い、川浚えの実現につながりました。
 文殊院は真言宗豊山派(ぶざんは)の寺院です。本尊不動明王坐像や五智如来・弘法大師像など木彫像の他、種字両界曼荼羅図(しゅじりょうかいまんだらず)、十三仏図、阿弥陀来迎図、涅槃図、地蔵菩薩、十一面観音・吉祥天(きっしょうてん)三尊像などの仏画も多数伝来しました。
 この春、文殊院の仏像・仏画類が高月観音の里歴史民俗資料館に寄託されたことから、これら密教美術を展示公開します。本展を通じ、湖北地方の信仰文化の一端に触れていただければ幸いです。

主催:高月観音の里歴史民俗資料館
             
       
 おもな展示資料
 
「大日如来坐像」
1躯(五智如来のうち) 像高25.2cm
江戸時代 寄木造・玉眼・漆箔 
文殊院蔵(高月歴民寄託)

 文殊院には正面に3つの厨子が並んでいます。本像は、向かって左の厨子に安置される、智拳印(ちけんいん)を結ぶ金剛界(こんごうかい)の大日如来坐像。大日如来は、密教における中心仏です。文殊院には、ほかに4躯の同サイズの如来坐像も伝わり、もとは五智如来を構成していたと考えられますが、各如来像は現在、蓮華(れんげ)や薬壺を執り、当初の尊名は詳(つまび)らかではありません。台座裏の銘文から、長浜町の仏師・彫常の作であることがわかります。
   
「不動明王坐像」
1躯 像高39.3cm
江戸時代 寄木造・玉眼・彩色
文殊院蔵(高月歴民寄託)

 本像は、中央の厨子に安置される当寺の本尊。不動明王は、密教における根本仏・大日如来の化身といい、一切の衆生(しゅじょう)を救うために、剣を執り忿怒(ふんぬ)の相で導こうとする、密教特有のホトケです。本像は、眼光鋭い迫真の表情に特色があります。
   
 「種字両界曼荼羅図」 2幅 
本紙 金剛界:タテ 65.0cm×ヨコ53.8cm、
胎蔵界:タテ 64.8cm×ヨコ53.7cm
表具 金剛界:タテ144.0cm×ヨコ67.6cm、
胎蔵界:タテ143.8cm×ヨコ67.6cm
室町時代 絹本著色



 両界曼荼羅は、真言宗の開祖・空海が唐から請来した密教の根本本尊です。『大日経(だいにちきょう)』に基づく胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅と『金剛頂経(こんごうちょうきょう)』に基づく金剛界曼荼羅からなります。いずれも中央に大日如来が、その周囲には多くの仏教の諸尊が配されます。本作は、紺に染めた絹に金泥で、それぞれの仏尊を梵字(種字)で表す種字曼荼羅と呼ばれるものです。本紙の上下の一文字は裂地(きれじ)ではなく描いて表わす「描表装(かきびょうそう)」となっている点にも特色があります。
 胎蔵界
 
金剛界   
   
 「阿弥陀来迎図(らいごうず)」 1幅
本紙 タテ82.8cm×ヨコ34.6cm、表具 タテ154.2cm×53.7cm
室町時代 絹本著色


 臨終に際し、西方極楽浄土から阿弥陀如来が迎えに来る様子を描いたものを、阿弥陀来迎図と呼びます。本図は、飛雲上(ひうんじょう)の踏割蓮華座(ふみわりれんげざ)に立ち、「来迎印」を結ぶ阿弥陀如来を正面向きに表わしています。肉身部は金泥により金色に彩色され、着衣部は金泥により衣文線(えもんせん)やさまざまな文様が、装飾性豊かに描かれています。
   
「地蔵菩薩・十一面観音・吉祥天三尊像」 1幅
本紙:タテ91.7cm×ヨコ39.1cm、
表具:タテ161.5cm×ヨコ55.9cm
江戸時代 紙本(しほん)著色


 地蔵菩薩を中尊とし、左右に十一面観音と吉祥天を配した三尊像。地蔵菩薩は、通常左手に宝珠(ほうじゅ)をのせ、右手に錫杖(しゃくじょう)を執る姿をみせますが、本図の地蔵は、右手は肘をまげて胸の前で第1指と第2指を捻(ねん)じて掌(たなごころ)を前に向ける特異な形に描かれています。この形姿は、「矢田型(やたがた)地蔵」と呼ばれるもので、大和郡山(奈良)の金剛山寺(通称・矢田寺)の本尊の姿をもとにしています。
   
「不動明王像」 1幅
本紙:タテ104.0cm×ヨコ41.4cm、
表具:タテ157.2cm×56.8cm
室町時代 絹本著色


 天地眼(てんちがん)・牙上下出(がじょうげしゅつ)を表し、右手に三鈷剣(さんこけん)、左手に羂索(けんさく)を執り、火炎光背を背に岩座に立つ不動明王を描いています。向かって右下に「妙澤(みょうたく)老人□□」とあり、南北朝時代の臨済僧・龍湫周澤(りゅうしゅうしゅうたく)(妙澤、1308-88)画の不動明王図を模写したものと考えられます。中世、密教信仰が禅僧の間で流行し、81歳で没した妙澤は、不動を描くこと1日1枚、これをおよそ三十年間休むことなく続けたと伝えます。
   
 「興教大師像(こうぎょうだいしぞう)」 1幅
本紙:タテ86.3cm×ヨコ39.7cm、
表具:タテ153.5cm×ヨコ53.7cm
江戸時代・元禄5年(1692) 絹本著色


 「真言宗中興の祖」と称される、平安時代後期の真言僧・興教大師覚鑁(かくばん)(1095~1144)の肖像。覚鑁は、末法思想・浄土教が流行する風潮の中、念仏や浄土思想を真言教学に取り入れ理論化した「密厳浄土(みつごんじょうど)」思想を唱え、「密教的浄土教」を大成した人物です。のちに覚鑁は高野山を追われて根来寺(ねごろじ)(和歌山)に移り、その教義は新義真言宗として長谷寺(はせでら)(豊山派)や智積院(ちしゃくいん)(智山派)において隆盛していきました。
           
 など
 
関連事業
■展示説明会
  
  日時:令和元年7月20日(土)午後1時30分から
    場所:高月観音の里歴史民俗資料館 2階展示室

■第13回 観音検定ジュニア
     日 時:令和元年7月20日(土)~9月1日(日)
     場 所:高月観音の里歴史民俗資料館内
     対 象:小学生・中学生
     共 催:NPO「花と観音の里」
     内 容:展示を参考にしながら問題を解いていきます。夏休みを利用して、観音さま
          のことや地域の歴史・文化を楽しく学んでみませんか?