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企画展 布施美術館名品展16
「富岡鉄斎が描いた風景画の軌跡」
期 間:令和8年2月4日(水)~3月16日(月)
◆会期中休館日:火曜日・祝日の翌日
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開催趣旨 長浜市高月町唐川に建つ布施美術館(非公開)は、当地出身の医師・布施巻太郎(1881-1970)が収集した富岡鉄斎(1836-1924)をはじめとする文人画、経典や古文書、医学・薬学関係資料といった数多くの貴重なコレクションを収蔵する美術館です。
初代館長である布施巻太郎の「自ら収集したコレクションを、国民の文化遺産として永く後世に残したい、広く社会教育に活用したい」という美術館の創設理念を受け継ぎ、高月観音の里歴史民俗資料館では毎年、布施美術館のすぐれた所蔵資料を特別公開しています。
今年は、布施美術館所蔵の富岡鉄斎の作品から、主に風景画に焦点を当て、その背景や作品に込められた鉄斎の思いを読み解きます。本展を通じて、布施コレクションの価値を知っていただくとともに、布施巻太郎の心にふれ、あわせて郷土文化を再発見する機会とします。
※展示資料総数:21件22点
主催:長浜市
協力:一般財団法人 布施美術館
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| 関連事業 |
■展示説明会
日時:令和8年3月1日(日)午後1時30分~
場所:高月観音の里歴史民俗資料館 2階展示室 |
| 展示資料 |
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| 琵琶湖舟遊図 1幅 |
琵琶湖舟遊図 1幅
富岡鉄斎筆・江馬天江賛 絖本墨画淡彩 135.0×33.1cm 明治3年(1870)鉄斎35歳
明治3年8月に、幕末の志士で文人として知られる板倉槐堂(いたくらかいどう)と江馬天江(えまてんこう)兄弟、漢詩人の神山鳳陽(ごうやまほうよう)と鉄斎ら4人が琵琶湖で舟遊びをした際の様子を描いた作品。絵は鉄斎が描き、賛(さん)には書家としても名を馳せた天江が漢詩をしたためている。
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| 琵琶湖図(湖光山色図) 6曲1隻(屏風) |
琵琶湖図(湖光山色図) 6曲1隻(屏風)
富岡鉄斎筆 紙本金地墨画 167.5×368.0cm 明治19年(1886)鉄斎51歳
景勝地としても知られ、多くの人々を魅了してきた日本最大の湖である琵琶湖を描いた壮麗な作品。画面向かって右手にみえるのは、石山寺(大津市石山寺)の月見亭であり、その左に近江富士と名高い三上山(みかみやま)、瀬田の唐橋、比叡山をパノラマで描いている。
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| 耶馬渓真景図巻 1巻(巻子) |
耶馬渓真景図巻 1巻(巻子)
富岡鉄斎筆 紙本墨画・著色 30.7×1050.0cm 明治時代 鉄斎50歳代
大分県にある耶馬渓(やばけい)は、奇岩が連なる壮大な渓谷で、国内では珍しい壮大な景観が広がる。耶馬渓の名は、江戸時代を代表する儒学者の頼山陽(らいさんよう)が名付けたもので、後に、山陽が制作した「耶馬渓図巻記」は反響を呼び、文人たちにとって耶馬渓は憧れの地となった。
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| 山碧水明処図 1幅 |
山碧水明処図 1幅
富岡鉄斎筆 紙本墨画 147.3×40.6cm 大正10年(1921)鉄斎86歳
鴨川沿いに建てられた江戸時代の儒学者・頼山陽の住居・水西荘と書斎の山紫水明処を描いた作品。山陽は鉄斎が敬愛した人物の一人で、山陽自刻の「山碧水明」印を西宮の酒造家・辰馬(たつうま)家から借り受け(本人は贈られたと思っていた)、本作にもこの印が捺されている。
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| 新年楽事図 1幅 |
新年楽事図 1幅
富岡鉄斎筆 紙本墨画 133.5×33.3cm 大正13年(1924)鉄斎89歳
本作に描かれる2つの建物は、学者として膨大な数の書籍を所蔵していた鉄斎の自宅に建てられた書庫・魁星閣(かいせいかく)と賜楓書楼(しふうしょろう)である。魁星閣は、大正11年(1922)7月に完成した、当時としては珍しい鉄筋コンクリートの三階建ての建物であった。
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東京長浜観音堂後継展示
「長浜観音堂高月別院」 第4期
期 間:令和8年1月14日(水)~2月11日(水・祝)
◆会期中休館日:火曜日・祝日の翌日
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開催趣旨
東京長浜観音堂の後継事業として、現地で使用していた展示ケースを活用し、市内の仏像をピックアップして単独展示を行うことによって、引き続き長浜の「観音文化」の周知を図ります。
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| ※「長浜観音堂高月別院」=高月の資料館内にある展示ケースを、長浜に数多く所在する観音堂にとっての別堂に見立てるという意を込めた事業名です。(長浜観音堂は特定の実在する堂舎を指すものではなく、高月別院は浄土真宗でいう別院でもありません) |
内 容
エアタイトケース(行灯型高気密度展示ケース)で1軀(く)の仏像を約1か月間、年4回の展示を行います。展示では、文化財としての仏像の解説とともに、堂舎とそれらを守る人びとを紹介します。第4期は、長浜市余呉町坂口の大岩山観音堂に安置される聖観音立像を展示します。
主催/長浜市 |
| 関連事業 |
■御朱印の配布
会期中は、展示中の仏像と「長浜観音堂高月別院」の名称を入れた御朱印を無料で配布します(数量限定)。
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| 展示資料 【第4期展示の仏像】 |
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| 大岩山観音堂蔵 木造聖観音立像 1軀 |
大岩山観音堂 木造聖観音立像 1軀(長浜市余呉町坂口)
木造 漆箔・彩色 彫眼 像高35.4cm 江戸時代(元禄12年・1699年)
大岩山の観音堂に安置される聖観音像。髻(もとどり)を結い、正面に飾り(破損)を付ける。髪は平彫、髪際(はっさい)をまばら彫とする。天冠台は平彫。白毫を表す。半眼・閉ロ。耳朶(耳たぶ)環状で中央を貫通しない。三道彫出。右腕は垂下して、掌(たなごころ)を正面に向けて全指を伸ばす。左腕は屈臂(くっぴ)して、第1・3・4指を捻じて握る形を取る。条帛(じょうはく)を着け、左胸前で内側にたくし込み垂下させる。天衣を両肩から懸け、両肘内側を通して外側に垂下させる。裳(も)・腰布を着け、左を外にして中央で打ち合わせ、腰で1段折り返す。腰をわずかに左に捻り、右足を軽く前に出して立つ。全身に摺漆を施し、頭髪を墨彩、肉身部を漆箔、目を白彩(瞳なし)、白毫と唇を朱彩とする。
彩色のため詳細は不明ながら、針葉樹材製で、頭体幹部は髻頂(けいちょう)から両足踵まで1材製。冠飾、両耳朶は別材製。両肩以下も別材製で肘先、手首、指で矧(は)ぐ。天衣垂下部、両足先、台座、光背も別材製。像背面腰下に朱漆銘があり、元禄12年(1699)に制作されたことがわかる。堂外初公開。
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東京長浜観音堂後継展示
「長浜観音堂高月別院」 第3期
期 間:令和7年11月19日(水)~12月15日(月)
◆会期中休館日:火曜日・祝日の翌日
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開催趣旨
東京長浜観音堂の後継事業として、現地で使用していた展示ケースを活用し、市内の仏像をピックアップして単独展示を行うことによって、引き続き長浜の「観音文化」の周知を図ります。
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| ※「長浜観音堂高月別院」=高月の資料館内にある展示ケースを、長浜に数多く所在する観音堂にとっての別堂に見立てるという意を込めた事業名です。(長浜観音堂は特定の実在する堂舎を指すものではなく、高月別院は浄土真宗でいう別院でもありません) |
内 容
エアタイトケース(行灯型高気密度展示ケース)で1軀(く)の仏像を約1か月間、年4回の展示を行います。展示では、文化財としての仏像の解説とともに、堂舎とそれらを守る人びとを紹介します。第3期は、長浜市余呉町坂口の菅山寺に伝わる十一面観音立像を展示します。
主催/長浜市 |
| 関連事業 |
■御朱印の配布
会期中は、展示中の仏像と「長浜観音堂高月別院」の名称を入れた御朱印を
無料で配布します(数量限定)。
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| 展示資料 【第3期展示の仏像】 |
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| 菅山寺 木心乾漆十一面観音立像 1軀 |
菅山寺 木心乾漆十一面観音立像 1軀(長浜市余呉町坂口)
木心乾漆 漆箔 彫眼 像高102.8cm 平安時代 長浜市指定文化財
木心乾漆という特殊な技法で制作された十一面観音像。毛筋や面相、衣の襞・皺を木屎漆(こくそうるし)で塑形する。腰から膝にかけての量感、深く彫り込まれた厚みのある衣文線(えもんせん)、切り詰めた裳裾(もすそ)などから、平安時代初期(9世紀)の特徴を示す。
・木心乾漆像=像の大まかな部分を木でつくって木心(もくしん)とし、その上に木屎漆を厚く盛り上げて、木屎漆が乾かないうちに手指やヘラで塑形する。乾いた後は木と同じように彫刻できる。奈良時代後期から平安時代前期にかけて用いられた技法。
・木屎漆=木の鋸(おが)くずを麦漆(生漆に小麦粉を混ぜて粘りを出した接着剤)に溶いてペースト状にしたもの。
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企画展
「西阿閉(にしあつじ)の歴史と信仰文化」
期 間:令和7年10月29日(水)~12月8日(月)
◆会期中休館日:火曜日・祝日の翌日
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開催趣旨
長浜市高月町西阿閉は、南流する余呉川左岸平地に位置し、西には山本山があり、その東麓には土豪・阿閉氏の居城跡が残されています。古代には安曇郷(あずみごう)に含まれたと考えられ、集落内にはアド橋と呼ばれる橋が残ります。集落内の式内社・甘櫟前(いちいざき)神社付近はアマガミの杜とも呼ばれ、伝承では安曇族と深い関係を有する海士(あま)族ゆかりの地であるとされています。また、地名「阿閉」はアズミが転訛(てんか)したともいわれています。
この企画展では、西阿閉が歩んできた歴史や地域に伝わる信仰文化に焦点を当て、初公開となる江戸時代後期の西阿閉村の村況を描写した「近江国伊香郡西阿閉村郷内細見図」や竹蓮寺に伝わる「木造宝冠阿弥陀如来坐像」のほか、西阿閉出身の絵師・橘雪嶹(たちばなせっとう)の作品等を紹介します。
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| 関連事業 |
■展示説明会
日時:令和7年11月9日(日)午後1時30分~
場所:高月観音の里歴史民俗資料館 2階展示室 |
| おもな展示資料 |
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| 近江国伊香郡西阿閉村郷内細見図 |
近江国伊香郡西阿閉村郷内細見図
天保15年(1844) 西阿閉自治会蔵(長浜市指定文化財)
19世紀半ばの西阿閉村の様子を詳細に描写した絵図。道路や畑、川、山などが色分けされ、各地筆には小字名、地目と等級、面積、所有者が記されている。さらに注目されるのは、領主ごとの耕地の支配関係が克明に記されている点である。村落内の相給の実態や、各領主の分散の実態を知ることができる大変貴重な絵図である。 |
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| 木造宝冠阿弥陀如来坐像 |
木造宝冠阿弥陀如来坐像
平安時代中期 西阿閉自治会(竹蓮寺)蔵 (長浜市指定文化財)
頭体主要部は、宝冠・肩から肘までを含んで一材から彫り出されている。材はケヤキで内刳(うちぐ)りはみられない。これに後補の両膝と両腕を別材で造り矧(は)ぎ付けている。顔つきは、比較的角ばった顔に切れ長の目を細く刻み、鼻はあまり高く表さず、口唇をやや分厚く刻出し、穏やかな表情のうちにも古像の風格をよくたたえている。制作は平安時代中期の10世紀末から11世紀初頭の頃と考えられる。 |
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| 曳馬図絵馬 |
曳馬図絵馬
橘雪嶹筆 文化12年(1815) 西阿閉自治会(甘櫟前神社)蔵 |
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| 甘櫟前神社境内図絵馬 |
甘櫟前神社境内図絵馬
橘雪嶹筆 文化12年(1815) 西阿閉自治会(甘櫟前神社)蔵
西阿閉の甘櫟前神社に伝わる絵馬。絵馬は、庶民の願望や感謝の目的で寺社に奉納されるもので、古代の人々は馬に神霊が宿ると考え、神馬を献上する風習があったが、やがて時代とともに簡略化され絵馬を奉納するようになった。曳馬図は、2人の従者が神馬を曳き従う様子を描いたもので、甘櫟前神社境内図は、山頂付近に土豪・阿閉氏が築いた山本山城の遺構と思われる平地が見られるなど、当時の西阿閉の様子を知る上で貴重な資料である。ともに西阿閉出身の絵師・橘雪嶹が描いたものである。 |
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| 宇治川合戦図絵馬 |
宇治川合戦図絵馬
橘惟辰筆 嘉永4年(1851) 西阿閉自治会(意波閇神社)蔵
西阿閉の意波閇(おわい)神社に伝わる絵馬。木曽義仲が源義経を防いだ宇治川の合戦を描いたもので、源頼朝から与えられた名馬「磨墨(するすみ)」に乗る梶原景季に先んじて、名馬「池月」に乗った佐々木高綱が宇治川へ打ち入る場面を描く。西阿閉出身の絵師・橘惟辰が描いたものである。 |
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| 江州伊香郡賤ヶ嶽戦場絵図 |
江州伊香郡賤ヶ嶽戦場絵図
橘雪山筆 文化13年(1816)長浜城歴史博物館蔵
天正11年(1583)に羽柴秀吉と柴田勝家軍の間で起こった、賤ヶ岳の戦いに参戦した武将の配置等を描いた絵図。4月20日及び21日の合戦時の様子を戦場の東方から俯瞰した構図になっており、絵図上段には「木ノ本ヨリ観音坂迄十二丁」など各地点間の距離が詳細に記されている。西阿閉出身の絵師・橘雪嶹の子・雪山が描いたものである。
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東京長浜観音堂後継展示
「長浜観音堂高月別院」 第2期
期 間:令和7年9月17日(水)~10月13日(月・祝)
◆会期中休館日:火曜日・祝日の翌日
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開催趣旨
東京長浜観音堂の後継事業として、現地で使用していた展示ケースを活用し、市内の仏像をピックアップして単独展示を行うことによって、引き続き長浜の「観音文化」の周知を図ります。
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| ※「長浜観音堂高月別院」=高月の資料館内にある展示ケースを、長浜に数多く所在する観音堂にとっての別堂に見立てるという意を込めた事業名です。(長浜観音堂は特定の実在する堂舎を指すものではなく、高月別院は浄土真宗でいう別院でもありません) |
内 容
エアタイトケース(行灯型高気密度展示ケース)で1軀(く)の仏像を約1か月間、年4回の展示を行います。展示では、文化財としての仏像の解説とともに、堂舎とそれらを守る人びとを紹介します。第2期は、長浜市野田町の野田観音堂に伝わる馬頭観音立像などを展示します。
主催/長浜市 |
| 関連事業 |
■展示説明会 [第2期]
日時:令和7年10月5日(日)午後1時30分~
場所:高月観音の里歴史民俗資料館 1階展示室 |
■御朱印の配布
会期中は、展示中の仏像と「長浜観音堂高月別院」の名称を入れた御朱印を
無料で配布します(数量限定)。
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| おもな展示資料 【第2期展示の仏像】 |
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堂外初公開
野田観音堂蔵 木造馬頭観音立像 1軀 |
野田観音堂蔵 木造馬頭観音立像 1軀
木造 彩色 彫眼 像高44.5cm 室町時代
現在は三尊とも野田会館内に安置。鬣(たてがみ)を表す馬頭を戴く三面三目六臂(ぴ)の馬頭観音像。針葉樹材製の一木造で大きめの頭部や厚手の衣をつくり、内刳(うちぐり)は施さない。諧謔味のある室町時代の作。堂外初公開。 |
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堂外初公開
野田観音堂蔵 木造聖観音立像 1軀 |
野田観音堂蔵 木造聖観音立像 1軀
木造 彩色 彫眼 像高23.5cm 室町時代
一面二臂で高髻(こうけい)を結い、条帛・天衣・裳を着ける通形の観音像。古色彩のため材種不明ながら一木造とみられ、四角張った体躯を表す室町時代の作。堂外初公開。
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堂外初公開
野田観音堂蔵 木造聖観音立像 1軀 |
野田観音堂蔵 木造聖観音立像 1軀
木造 彩色 彫眼 像高23.5cm 室町時代
一面二臂で垂髻を結い、宋の菩薩像の形式を取り入れて、如来のように衲衣(のうえ)を着ける観音像。材種不明ながら一木造とみられ、左右に長く引く目や唇、大きな手足や寸の詰まった体躯などを表す。室町時代の作。堂外初公開。
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| 現在三尊を安置している野田会館 |
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野田観音堂(長浜市野田町) |
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本尊は馬頭観音像。観音堂向かって左の壇に聖観音像、右の壇には衲衣を着けた聖観音像が安置されていたが、無住のため現在は町内の野田会館に遷され、野田町自治会によって管理されている。観音堂の周囲には溝を巡らせていたようで、現在は竹藪に覆われているが、北側には土塁の名残もあるという。創立年代は不詳。江戸時代、寛政4年(1792)の地誌『淡海木間攫』には、田根ノ庄野田村に「観世音堂 九尺二間」の記載があることから、この頃には存在していたことがわかる。
10月19日(日)開催の「観音の里ふるさとまつり」に初めて参加する予定で、今秋から野田会館で拝観者受け入れを開始する運びとなっている。
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企画展
「朝鮮通信使の通った道、支えた人びと
-近江の朝鮮人街道-」
期 間:令和7年7月23日(水)~9月1日(月)
◆会期中休館日:火曜日・祝日の翌日
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開催趣旨
朝鮮通信使は江戸時代、慶長12年(1607)から文化8年(1811)にかけての約200年間に12回来日しました。朝鮮・漢城を出発した一行は釜山から海を渡り、対馬を経て瀬戸内海を進み、京都で上陸して江戸へ向かいました。道中、近江国では小篠原(現野洲市)から鳥居本(現彦根市)にかけての「朝鮮人街道」を通り、地域の人びとに経済的にも文化的にも大きなインパクトを与えました。長浜は通信使の通った道からは外れていますが、雨森芳洲をはじめさまざまな人びとがその通行を支えました。
この企画展では、朝鮮人街道を通った通信使一行とそれを支えた人びととの関わりを取り上げ、地域に与えた影響をたどります。
主催/長浜市
内 容
朝鮮人街道を示した絵図や朝鮮通信使をモチーフにした人形、通信使の通行を人的あるいは経済的に支援した人びとの記録などを展示します。
①朝鮮通信使の通った「朝鮮人街道」の様子
②朝鮮通信使をモチーフとした郷土人形
③朝鮮通信使と幕府との調整に奔走した雨森芳洲
④朝鮮通信使にかかる出役や経費を負担した湖北の人びと
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| 関連事業 |
■展示説明会
日時:令和7年8月2日(土)午後1時30分~
場所:高月観音の里歴史民俗資料館 2階展示室 |
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| おもな展示資料 |
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| 1.江州蒲生郡八幡町絵図 1幅 |
1.江州蒲生郡八幡町絵図 1幅
紙本著色 82.0cm×98.0cm
江戸時代中期 近江八幡市蔵 近江八幡市指定文化財
近江八幡は近江国に入った朝鮮通信使が2日目の昼食をとった場所。町内最大寺院の本願寺八幡別院を中心に400人を迎え入れた。1700年前後の八幡町の絵図には、町内を通過する朝鮮人街道が「京街道すじ」として濃赤色で示されている。 |
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| 2.瓦人形 |
2.瓦人形 1体
像高61.8cm 明和元年頃(1764) 近江八幡市蔵
第11次朝鮮通信使をモデルにした瓦人形。八幡瓦は本願寺八幡別院の屋根葺替を契機につくられ始めたが、その鬼瓦職人が余技で贈答用につくったもの。瓦なのに鮮やかな色や沓(くつ)の精緻な技巧に驚かされるとともに、通信使の与えたインパクトの大きさがうかがえる。
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| 3.小幡人形(近江商人博物館) |
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| 3.小幡人形(東近江市・中江準五郎邸) |
3.小幡人形
像高9.3~9.9cm 細居文蔵作/細居源悟作 昭和時代
近江商人博物館蔵/近江商人屋敷中江準五郎邸蔵
中山道沿いの小幡村(現東近江市五個荘小幡町)で享保年間(1716~36)に伏見人形をもとにつくられ始めた郷土玩具の土人形。鮮やかな原色が特徴で、江戸時代の型を用いて現在もつくられる。400種以上の中には朝鮮通信使をモチーフとした「唐人形」もある。
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| 4.交隣提醒 |
4.交隣提醒 1冊
紙本墨書 25.7cm×19.5cm
雨森芳洲著・雨森鵬海筆か 享保13年(1728) 芳洲会蔵
雨森芳洲は方広寺大仏や耳塚よりも日本の絶景である湖水(琵琶湖)の方が通信使には喜ばれるとして、京都ではなく大津逢坂の高観音(近松寺)に2日ほど宿泊させるよう提案。朝鮮人は華美なものよりも、手入れの行き届いた古木の並木の方に感心すると述べる。
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| 5.朝鮮人来聘大津駅記 |
5.朝鮮人来聘大津駅記 1帖
紙本墨書 12.2cm×34.7cm 延享4年(1748) 個人蔵(横関家文書)
御賄役人として伊香郡井口村の松井五兵衛や柏原村の雨森彦助ら17人の名が見える。三使の1日の食材について量や材料を細かく指示し、食材がそろわない場合の代替食材についても示している。通信使が通行しない村にも負担が割り当てられていたことがわかる。
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| 6.諸国六十八景 近江摺針嶺 |
6.諸国六十八景 近江摺針嶺 1枚
紙本多色刷 25.8cm×18.5cm 二代歌川広重作 文久2年(1862) 草津宿街道交流館蔵
第9次通信使の申維翰(シンユハン)は摺針峠(現彦根市)の景観を称えて、限りなく広々とした琵琶湖を俯瞰するとさわやかさを覚えると述べ、竹生島を見て創造主が湖中の土石と群山の美を争わせようとしたものかと評した。
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企画展
「古経典の魅力 -布施美術館名品展15-」
期 間:令和7年2月5日(水)~3月24日(月)
◆会期中休館日:火曜日・祝日の翌日
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開催趣旨
長浜市高月町唐川に建つ布施美術館は、近代文人画の巨匠・富岡鉄斎と親交のあった当地の医師・布施巻太郎(1881~1970)が創設した美術館です。巻太郎は「自らのコレクションを、広く社会教育に活用したい」と考え、鉄斎をはじめとする文人資料のほか、医学・薬学や仏教文化、近江滋賀県に関する資料などにもジャンルを広げ積極的に収集しました。ことに奈良・平安時代の古経典や禅僧の墨蹟などには、注目すべき貴重な資料が多く含まれています。
この企画展では、布施美術館が所蔵する奈良・平安時代の経典類に焦点を当てて展示紹介します。魅力ある名品の数々を鑑賞していただければ幸いです。
主な展示資料
①□『仏本行集経』 巻第四十一 1巻 天平12年(740) 紙本墨書
(『天平十二年五月一日光明皇后願経』)
②□『大般若波羅蜜多経』 巻第百九十一 1巻 奈良時代 紙本墨書 (『薬師寺経』)
③『金剛頂瑜伽千手千眼念誦儀軌』 1巻 平安時代 紺紙金銀交書 (『中尊寺経』)
④『四自侵経』 1巻 平安時代 紺紙金字 (『神護寺経』)、など19点
※□は、滋賀県指定有形文化財
※いずれも、一般財団法人 布施美術館蔵
主 催/長浜市
協 力/一般財団法人 布施美術館
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| 関連事業 |
■展示説明会
日時:①令和7年3月1日(土)午後1時30分~
②令和7年3月8日(土)午後1時30分~
場所:高月観音の里歴史民俗資料館 2階展示室 |
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| おもな展示資料 |
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